2017年2月19日日曜日

ミドとピンの工場復興発端物語 1





                              プロローグ





 ウイーン、ガチャッ……ゴトン

 機械の鳴り響く音……。広い煙だらけの工場の中で、いろいろな音が混じり鳴っている。

「そこそこ違う! 向こう側」

 大型トラック二千台分も軽く入るこの工場は、機械だけではなくガスや車の音、人の声や騒

音などが聞こえ、何もしらずに入った人間などはとりあえず全壊したくなる程、凄い騒がしさ

に満ちている。しかも臭いがきつすぎる。いろいろ腐ったものを……例えば、死体とか納豆だ

とか、そんなものを混ぜたような臭いだ。

「カンドゥ!」

「は、はい」

「何度言ったら分かるんだ。壊れるって言っとるだろうが! 貴様……、俺をなめとんのか?」
「いえ、決してそんなことは……」

 罵声が響く。彼は言われるがままにことを進めた。年の頃十七程で、長身長髪の男である。

緑色の汚れた軍服を着ている。右腕にはブレスレットのようなものをつけており、それは今に

も破裂しそうなほど光沢に満ち溢れていた。

「しかし大変だよな、いったいいつまでこんなことやらされてんだろ」

 突然声がしたので振り返ってみると、全身怪しい黄色の服に覆われている男がいた。年はカ

ンドゥと同じくらいで体格はしっかりとしている。頭は丸めていて、それ意外は特徴のない男

だ。

「なんだ、ファルか」

 ぼそっと言うと、彼は再び作業に取り掛かる。他人とはあまり話そうとしない。

「なんだはねぇだろ。……しかし相変わらず無愛想だな」

「ほっといてくれ」

 カンドゥは嫌気がさしたようにわざと見せ、今いる一室  とは言ってもかなり大きいが、
その端にある木製のドアを開け、中に入って行った。工場……とは言っても、ここは普通のそ

れとは違いほとんど家のような所だ。作業をしている時も、それほど家に在宅しているのと変

わった感じはしない。ファルもカンドゥを追うように歩いて行く。顔についていた汗が飛び散

り、辺りの機器につく。この男は異様に汗が出る体質なのだ。彼はドアを閉め、さり気なく立っ
ている椅子に座った。大きく古そうなテーブルに、それを挟んで椅子が二つずつ、計四つの椅

子が並んでいる。他には物といった物はなく、人もいない。たいして小さな部屋ではないが大

きくもない。いわゆる休憩所のような所だ。彼が入った時にはすでにカンドゥの姿はなかった。
「どこ行きやがったんだ……? あいつ」

 少し戸惑いながら窓を見る。比較的小さな窓だ。窓の外は白い煙で見通し辛い。テーブルに

置いてあった葉巻を吸いながら、彼は付近にあった鼻紙を手に取った。

「……しかしなぁ、早くこんな所抜け出してぇよ」

 ファルは常に思う。こんな……いや、この工場に来た時からそうだった。どんなに働いても、
給金が入るわけでもない。ただ単に働かされるここにいては、誰だってそう思うに違いない。

ここ『リグ』は、どんな時でも煙を吹いている。外の様子は全く見えない。外から中の状況が

どうなっているのか全く分からない。とりあえず、他の世界とは違った辺境の都市……と言う

ことができる。朝には極早く起こされ、夜遅くまで働かされる。当然、この中からは病人がで

てくるが、そういう者も構わずに働かされる。死んだら死んだで放りっぱなし。だから工場は

腐った臭いでいっぱいになるのだ。強盗、殺人、窃盗、暴行なんかを起こした人間がここに連

れられてくる。彼らもその中の一部であった。結局、カンドゥは何日か姿を見せなかった。

 数日後、ファルは作業を中止し休憩所へ向かった。いつものように椅子に座って葉巻を吸う。
(それにしてもどこに行ったんだ、あいつ。金を早く返してほしいんだがな)

 しばらく窓の外を見つめていたファルは、椅子から立って葉巻を捨てた。

 ドゴォーン 

「うおぁ、な、なんだ 」

 急にとてつもなく大きな音が鳴って、近くからはざわめき声が聞こえた。ファルは突然の音

に驚いて、窓を開けて外を見たが、煙だけで何も見えず……どころか、さらに外から煙が中に

入ってきた。

「ぐわっ! なんだ  この煙りはいつものとは違う……。く、苦しい!」

 ファルは目を閉じ、顔の周りを両手で振り回した。息苦しさに耐えられなくなり、窓の外に

向かって叫んだ。

「だ、誰か助けてくれ!」

 窓枠に右手をかけて、叫び続けた。何度も、何度も、真っ暗な煙の中で。

「ウワァオーン、ウワァオーン。緊急事態発生。緊急事態発生。作業に取り掛かっている作業

員は、ただちに撤退してください。繰り返します。作業を……」

 警報がやまずに鳴っている。ファルは頭が混乱してきて全く聞き取れなかった。とにかく叫

ぶファルは胸が苦しくなって……、ついには倒れた。

「カ……カンドゥ……」

 辺りは既に暗闇の中の海。大抵の人間の目ではもう何も見えない。いわば、盲目状態。工場

はいつの間にか巨大な炎にのまれていた。火は、煙が何らかの形で発生したものだろう。今に

も爆発しそうな感じである。

 チリチリ……

 工場の地下にある巨大な焼却炉。やはりここも暗闇ではある。が、焼却炉の炎により、多少

は明るい。中で何かが燃えている。それに引き寄せられるように周りからは怪しげな黄色い液

体が流れてくる。油のごとくぬめった液体。その変な液体は焼却炉の中のものへと向かい、ど

んどん近寄る。そして……

 ピリッ

 触れたっ 

 ヴァグゥオァーン 

「うぉああー 」

 ……そして数年の時が過ぎ……






                     第一章 全ての始まり





「ミー、助けてくれミ 」

 美しい静かな大草原。緑で埋もれていて、環境破壊に繋がるものが全くない大自然。

 真っ青な空に、真っ白な雲。こんなところに来たら、どんな心の腐った者でも心が休まる。

 ……そこにひとり、騒いでいる者がいた。

「たーすけーてくれミー!」

 相変わらず叫んでいる。誰かここにいたら、即殺していただろう。

 その物体は走り続けている。体全体が緑の毛で覆われていて、……どうやら人間ではないよ

うだが、動物でもない。この世にこんなものが存在するとは思えないような生物である。

 ……いや、生物とは見た感じでは違っているが、とにかくその、生物としておこう。

 その生物は、人の手で持てるくらいの大きさで、なんと丸い。球のような形で、耳がふたつ、
真上にピンと立っている。そして目が二つ。小さな丸い尾が生えて、まあ胴体を抜かしては普

通の生き物なんだが、手足がない。それとどう見ても呼吸しているようには見えない。

 付け加えて、目の下に黄色い目立つリボンを付けている。チャームポイントにはなっている

が、特に意味はないようだ。

 足がないので、走れるとは思えないのだが、とにかく草をかきわけて突き進んでいる。

 繰り返すが、生物ではない。それは常に走り続ける。砂漠のような、限りない大草原を。

 足による走行ではないので、横から見れば、平行に動いているオモチャに見える。

 周囲から見れば、ただ楽しんで走っているように見えるのだが、そうではないようだ。

 それを追いかける者が、かなり後ろの方にいた。

「待てピーン!」

 今度は猫みたいだ? いや、これも猫のようだが、やはり緑色の物体と同様に生物ではない。
しかも猫の格好をしているとはいえ、毛色がピンク色である。普通、こんな猫を見たら驚く。

 あとは特に猫と変わった点はなく、大きさも普通の猫とたいして変わらないのだが、なんか

やはり違うのだ。

 とにかくそれは美しい大草原の中で、前の物体を追いかける。

 風がなびく。と同時に草原が揺れる。空は常に青さを保つ。
                                                            ・・・
 何の変化もなく、落ち着いたここに、少し変化が現れた。いや、ここにというのは少し違う

が。

 前の物体と後ろの物体の距離の差が縮まってきている。両方とも人並みはずれた速さだった

が、後ろはさらにペースを上げた。

「げっ! やばいミ!」

 前の物体がかなりの焦りを見せている。

 ……関係ないが、この物体は語尾に『ミ』と付けるのが癖らしい。

「もう少しだピーン! 待ちやがれ、ミド!」

 後ろの物体はやっとのことで追いつきそうなので、顔がニヤけている。

 前の物体  後ろの物体に『ミド』と呼ばれた物体は、表情……というか、胴全体をひき

つらせながら、必死に逃げまとう。

 ガシッ!

 とうとう捕まった。後ろにいた物体は満足感に満ち溢れながら押さえ込んだ。空はやっぱり

真っ青だ。

「や、やめろミ!」

 緑色の毛の物体  ミドは抵抗するが、手足がないので、ほとんど効果を猫に与えること

ができない。

「おい、くそピン! あとで覚えとけミ!」

 猫の名はピン。その言葉で、満足感のあったピンの顔が急に赤くなった。

「許さんピン! 死ねピン! くそミドが!」

 突然そんなことを言って、ピンはミドを殴りはじめた。その殴り方があまりにもひどすぎる

ので、どう表現していいか分からない。それほど凄まじかった。

「ぐぎえぇ、死ぬミ!」

 ミドは死んだ、といっても変わらないくらいの体になって叫んだ。

 体中あざだらけで、内出血はもちろんのこと、血のような緑色の液体が体毛からわき出て、

腫れていくのが分かる。

 液体が出てきたり、腫れ上がる……ということから、生物に近いという感じがしてくるが、

生物ではない。

 ボコボコにされているのにも関わらず、ミドは笑いながら言った。

「ザコ!」

 ピンは余計に頭に来て、ミドが死にそうな体になっているのも気にせず、再び殺すつもりで

殴りかかった。

 ドム、ズコォ、バキィ、ドカァ、ガン!

 そんな鈍い音が静かな草原に響き渡る……ので、静かでもないが。

「やめろミ。なんでそんなことする権利が貴様にあんだミ!」

「は? じゃあ、なんで、今まで長いこと僕から逃げてきたんだピン?」

 ピンは、ミドの球形の胴を持ち上げて振り落とす体制だ。ミドは恐ろしくなって即答した。

「い、いやぁ。ただお前がすごい形相で、いきなり追いかけてくるからつい  」

「笑顔で『つい』じゃねぇピン!」

 ピンはミドを振り落とした。ミドは、動物とか、人で言った場合即死状態まで追い込まれた。
 生物ではないので、死ぬことはないが。ミドはもう体がぐちゃぐちゃにとろけている。

 ピンはミドの答えでさらに怒った目付きでミドの目の前に立ち塞がった。

「じゃあ、なんで僕が追いかけてきたのか知らなかったってことかピン?」

「……まあ、そういうことだミ」

 ミドは起き上がって再び逃げようとしたが、ピンが後ろから蹴りを入れたので阻止された。

「いつまで攻撃してくんだミ!」

 と言いながら後ろに振り返ったらピンの裏拳が待っていた。

 グォン!

 鈍い音でもろにくらう。ミドは、一時立っているのがやっとで、ふらふらしていたが、つい

に仰向けになってバタンと倒れた。

 風で揺れていた草のおかげでほんの少しだけショックが和らいだものの、それでもかなりの

衝撃だった。

「ミィ……ミィ」

 だが意識だけはあるようだ。生物だったらとっくに死んでいただろう。

 そこをさらにピンは踏みつけて、勝ち誇った顔で言った。
          マ ジ
「ったく、本当で知らないのかピン……。仕方がないから教えてやるピン。……いわゆる復讐

だピン、今のが」

「ふ、復讐?」

 死にそうな面でミドは聞く。

「そうだピン。よく聞けピン。全てじゃないけど、大半は脳みそ腐ったお前がいけないんだピ

ン!」

 ピンはミドを常に踏み続けていたが、真面目な顔をしてミドに言いつけた。ミドも目と耳だ

けはなんとかピンに向けている。

 空は青さを保っているが、風がやんだ。まるでピンの話を聞くように制止している。草原全

体もそんな感じである。

「今から二年ほど前……」



     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆



 焼却炉の火がもの凄い。近くに寄っただけでも皮膚が溶けそうだ。彼はその一室を通り過ぎ

た。

 胸の高鳴りと、高温の影響で、体と頭が少しイカれてきた。

(よし、誰もいないな……。もう少しだが、ちょっと熱すぎる。少し苦しい。早く抜けよう)

 火の明かりと、周りの少数の電灯の明るさだけなので、かなり暗い。彼はその通路を走った。
 年齢は十七ほどで、長い髪をなびかせて走る。その走行の仕方には、何かつっかるものがあ

ったが、障害のせいだろう。比較的長身の彼は、右腕に激しく光るブレスレットをつけている。
何か秘密のありそうな物だ。周囲からの圧力をかけられているようで、オドオドしながら走る。
「やべっ」

 彼はとっさに、たまたまあった用具入れに隠れた。透き間から様子を見る。従業員がふたり、
向こうから話しながらこちらに来る。

 ふたりとも、彼  カンドゥに似たような服装で、やはり汚れている。

「ったくよう、いつまでやらされてんだろうな。こんな仕事」

「まあ、そう言うな。これでも飯食わせてもらってるだけ、犯罪とかやってた頃に比べりゃ楽

なもんだぜ」

(前のヤツ、いいこと言うじゃん)

 カンドゥは思いながら、ふたりが通り過ぎるのを待った。天井にとりつけてある電灯が少な

く、外部からの光のもれが少ないので、ほとんど周りが見えない。

 五メートルくらいおきに左右にドアが並んでいる。どのドアも鉄筋でできていて、中央のや

や上には小さなガラス窓らしきものがついている。中は真っ暗でどれも何も見えない。が、中

に人がいないのは気配で分かる。とにかく長い一本道だ。

(しかし、薄気味悪いところだよな。早く取って帰ろう)

 カンドゥは不気味な顔で進んだ。手にはフィルムケースのようなものが握られており、その

中には黄色い半透明の液体が半分くらい入っている。

 おそらく、それが『用』なのであろう。

(ファルには一週間も会ってないから、心配してるだろうな。言っておけばよかったかも。た

ぶん同意してくれるとは思ったけど。とりあえず終わってから言おう。まあ、それはとりあえ

ず終わるまで。見つかる前にやらないと)

 ちなみにカンドゥはとてつもなく考えることが好きな、普通の善人だ。だが付き合いがあま

りよくなく、というか、自分から好き好んで接待を拒むところが、多少もったいない。

 何も音はなく、人の気配も一切ない。彼の足音だけが通路を賑やかにしていった。

「ここだ!」

 ガチャッ

 一番奥の突き当たりの一室のドアノブにカンドゥは手を取った。他の部屋よりかなり大きめ

の部屋だ。天井には幾つか蛍光灯があるが、そのうちふたつの蛍光灯がついていた。

 ウィー

 ベルトコンベアの動く音。誰もいないこの部屋の中で、それが異様なほど鳴り響く。その上

には、大量の縫いぐるみが並んでいる。多種多様の縫いぐるみだが、全て完成されているとこ

ろから察して、箱詰めをするようなところであろう。

(僕なんか、縫いぐるみの中に詰める綿集めだもんな。こっちの方がよっぽど楽でおもしろそ

うなんだけど。とまあ、とりあえずいいのを探そう。んー)

 カンドゥは長いコンべアの前でしばらくの間、見ていた。いろんな種類の縫いぐるみが流れ

てくる。大抵は、世間でよく知られているようなものが多いが、カンドゥはそういうものに目

を向けているのではなかった。

「まあ、なんでもいいんだけど。なんかいいの、ないかなあ。……お? これなんかいい感じ

がするぞ」

 カンドゥの表情が明るくなる。目についたものは、猫の縫いぐるみ。子猫ほどの大きさで、

桃色の毛で大きい尾を持ち、……が、毛が乱れていて目が少し変な位置にあり、不良品のよう

で、普通ならこんなものを選ぶ人はいないと思われるのだが、彼はそれに、何かこう、不思議

な魅力を感じさせられた。

(よし、これに決めた)

 カンドゥはそう思うと、縫いぐるみを手に取った。そして後ろに振り返り、戻ろうとした、

 その時、

「おい、貴様! そこで何をしている! ここは立ち入り禁止区域だぞ! ったく、いつまで

世話やかせるつもりだ、カンドゥ君よぉ!」

「た、隊長 」

 カンドゥは驚いて後ずさった。そこには、ひとりの正装をした男が腕を組んで立っていた。

 周りには七、八人の警備隊員らが、銃……とは少し違った感じの機械を持って出口を塞いで

いる。

 この工場では、幾つかのパートに分かれて作業をしているのだが、その『班』ごとの責任者

を、隊長と呼ぶ。総責任者やらなんやらは存在せず、その責任者同士が、それに当たっていて、
全員が平等、それがここの考え方なのだが、時々崩れることもある。ちなみに工場に来る者は、
全てが男である。

「……カンドゥ、私は君の所属する班の隊長だが、私は君が来た時から気に入らなかった。い

つもいつもいつもいつもいつもいつも取り返しのつかないことばかりしおって!」

「それはあんたが起こしたことでしょうが。僕はただ、それを他の班の隊長さんに、さりげな

く教えてあげただけだ」

「やかましい。とにかくいつも周りの班に馬鹿にされる俺の気持ちも考えろ! それからいつ

も他の隊長んとこに告げ口する時、その髪、靡かせやがって! 俺はな、女みてえな長髪野郎

は大っ嫌いなんだよ! このオカマ変人野郎!」

「髪伸ばして、なんでオカマ扱いされにゃならんのだ! 寝る時、クマの縫いぐるみの顔をな

めまわしてるあんたの方がよっぽど変人だわ」

「きっさまぁ、言ってはならんことを~! っていうか、その前になんでそのことを知っとる

んだ! 許さん! この場で射殺してくれるわ!」

 ふたりの甲高い声で、通路は思いきり響く。カンドゥは少し後退して構えた。

「お前ら、こういう礼儀知らずの馬鹿な男には、制裁を加えねばならん! 俺が許すから、構

わずに撃ち殺せ!」

 隊長は顔を真っ赤にしながら大声を張り上げた。警備隊員たちは少し戸惑いながらうろつい

ていたが、ひとり、前に出た。

「いえ、ですがそこまでしなくても」

「うるさい! 構わんから撃て!」

 全員、やむなく構えた。

(これでようやく奴を消すことができる。やっとだ)

「フッ」

「『フッ』じゃねえよ」

 隊長は喜びに溢れた顔でひとり、一階へと向かった。

「……悪いけど、警備員の皆さん。僕はなんでこんなところに来たんだと思う?」

 カンドゥは自信に溢れた声でそう言うと、右手に持っていたケースの蓋を開け、さっきとっ

た猫の縫いぐるみの上の方から、ゆっくりと中の液体をかけはじめた。

 ジュワワ……

 酸系の液体のようではあるが、縫いぐるみには特に影響はなく、ただ流れて染み込んでいく

だけだった。

「何やってんだ、あのガキ?」

「俺に聞くな」

「だが、撃つのはちょっとな……」

 警備隊員たちが戸惑っているのを見て、カンドゥは胸中でニヤけた。

(奴ら、驚いてるぞ。でも、本当にできんのかな)

 カンドゥはとりあえず液体をかけながらじっと見ていた。

 やがて、ケースの液体が切れ、『縫いぐるみに染み込んだ』のと、『下に流れ落ちた』の、

ふたつに分かれた。

(………)

 しばらく音を立てていたが、次第に落ち着いてきた。……そしてその縫いぐるみは、静かに

動き出す。

「ゲッ! 縫いぐるみが動いてやがる! なんなんだよ、ありゃ」

「だから俺に聞くなっての」

「でも、怪しいぜ。撃ち殺すべきか……」

 全員驚いて、乱れている。縫いぐるみはカンドゥの手から降りた。

「っと。……ん? なんだ……? どこだ、ここは。なんなんだ、俺は」

 その縫いぐるみは辺りを見渡した。

 真っ暗な通路。そして八人の警備隊員。カンドゥ。

 ピンッときて、その縫いぐるみは直感的にカンドゥに聞いた。

「なあ、お前。俺って、何?」

(……まさか、こんなことが本当にできるなんて。……なんか信じられない)

 カンドゥは少し戸惑ったが、とりあえず縫いぐるみに顔を近づけた。

「んーとな。ちょっと時間がないから、詳しいことは後で教える。君の名前は、……ええと、

毛色が桃色だから、ピンクだ。単純すぎるけど、とにかくピンク。僕はカンドゥだ。でもって

そっちの方々が敵。奴らを倒さなければならない。……分かった?」

「……まあ、少しな。俺がピンで、お前がカンド。でもって奴らが敵。殺せばいいんだろ、カ

ンド?」

「……んん、名前が少し違ってるけど、まあそんなとこだ」

「おう。でも、いまだに分からないことが多い。後でじっくり教えてくれ。いきなり会ったば

かりで悪いが」

「いや、いいよ」

 そして縫いぐるみの名前は、ピンクとなった。まだあまり意識がはっきりとしていなかった

が、しばらくすると目を大きく広げて立った。

 警備隊員たちも正気に戻り、構える。

「やむをえん! 撃つぞ!」

 ピュン!

「どわっ! あ、危ねぇ! ピンク、気を付けてくれ! 悪いが僕は下がってる。しっかりな」
「分かった。なんとかする!」

 そう言うと、ピンクは『敵』に襲いかかった。

 ガリッ

「うぎゃあ!」

 ピンクの爪によるひとかきによって、警備隊員のひとりの顔から、すさまじい量の血が流れ

出た。

 ピンクはそのまま男が倒れるのを確認して、次の警備隊員に跳びかかる!

 ガンッ

「うおぅ!」

 またもや、一撃! カンドゥは内心、確信した。

(ここまでとは思ってもみなかった! あいつ、すごいものくれたな。だが、とりあえずこれ

でこの腐った工場をつぶして、新しい工場を立てることができるかもしれない!)

 っと、少し思っていたらいつの間にか残りひとりとなっていた。他の七人は全員倒れている。                                              ・・・
ほぼ即死であろう。真っ暗な地下通路で、ここまでひとりで複数の人間を相手にする者など、

そうはいない。……まあ、ピンクは人ではないが。

 そして最後の『敵』に向かってピンクが襲いかかろうとした時!

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺はこいつらとは違う! ただ、ただ命令されてやっただけ

だ。せめて命だけは! なあ、見逃してくれよ! 頼む!」

 最後の警備隊員は、ピンクとカンドゥに向かって  主にピンクだが、額に汗を流しなが

ら両手を合わせ、跪いて頼み続ける。

 ピンクは跳びかかる寸前のところで止まり、振り返って聞いた。

「どうする、カンド?」

 カンドゥは迷っている暇などない。隊長が異変に気づいてすぐにやってくるに違いない!

 カンドゥは即座に答えた。

「僕は鬼じゃない。いいよ、ピンク。許してあげよう。僕にはやることがあるんだ。それにと

りあえず、今は上に出ないとやばいからな。……まあ、でも計画の邪魔をするんだったら、結

果は変わらないんだけどね。ま、とにかく行かないと!」

「……分かった」

 ピンクはカンドゥのもとへと戻った。

 ふたりは警備隊員を残して、焼却炉の方へと向かった。

「くっ!」

 警備隊員はひとり、立ち尽くしていた……。

(ちくちょう! こんだけ仲間殺しておきながら言いたい放題言いやがって! ぜってぇ許さ

ねぇ!)

 思うと男は無性に腹が立ってきた。そしてふたりを追う!

「死にやがれ、このクズども! 調子に乗ってんじゃねえぞ!」

 ピュン

「ぐっ!」

 警備隊員が後ろからピンクの腹を狙って撃った。

 ……が、縫いぐるみのピンクには全く効果がなかった。……いや、逆に怒らせてしまったよ

うだ。

「おい、ピンク! 大丈夫か!」

 カンドゥは心配したが、その必要はなかった。

「……許せん。殺してやる!」

 ピンクはすかさず驚く警備隊員に跳びかかった。

「うぎゃああ 」

 地下全体に悲鳴が響く。

 ……殴り、かじり、爪で目をえぐり、首を引きちぎり、悲惨な姿にした。

 ピンクは怒りに満ちていて、とにかく裂いた。ハマリにハマっている。

 カンドゥはその悲惨な光景を見て。慌てた。

「ピンク! もういい! やめろ……、やめてくれ! 僕の言うことが分からないのか  お

い、ピンク!」

 だが、ピンクはもはや聞く耳もたない。……というか、混乱していて周囲の声が聞こえてい

ない。

 血が流れる……。カンドゥは唖然と立ち尽くしていた。

 男の体は、既に跡形もなく、血まみれのドロドロで言いようがない。

(……まさか、こんなことになるとは。強すぎるってのも難点だ。なんとかしないとな。……

そういえば、あいつ、あんなこと言ってたな。確か、あの液体で生命を宿した縫いぐるみは大

抵の場合、野性的本能丸だしだって。んでもってそういう奴らは一度火にあぶれば、まともに

従ってくれる。……そういや、すぐ近くに焼却炉があるじゃないか。よぅし、急いでピンクを)
 カンドゥは急いで長い通路を焼却炉に向かって走りだした。火の明かりが見えてくる。

(いや、しかしなんですぐに気が付かなかったんだろ。重要なことなのに。まあ、とにかく今

はダッシュだ)

 巨大な焼却炉の周りは異様に熱い。

(早くピンクを止めないと)

 が、カンドゥは突如動きを止めた。

「しまった! ピンク持ってくんの忘れてた」

 カンドゥは急いで、流れる汗を気にせずピンクの所に戻った。まだ男を引きちぎっている。

 血が通路全体まで流れてきている。けっこうな距離があるのだが。

 ピンクの腹に突き刺さった妙なものと、体の透き間からは血のようなものが出ている。ただ

し、黄色だったが。カンドゥはピンクに近づいて叫んだ。

「ピンク! こっちに来い!」

 ピンクにはやはり聞こえていない。危険だったが、カンドゥはピンクを左手に持って焼却炉

に向かった。ピンクはまだ荒れている。

「ぐお!」

 カンドゥの左手からは血が流れている。ピンクに思い切り噛み付かれた。ひどい出血だ。骨

がボロボロに砕けている。これ以上ダラダラしていると、ピンクが何をするか分からないので、
カンドゥは走った。ピンクはまだ噛み続けている。

「ここだぁ! 焼けろ」

 カンドゥは巨大な焼却炉に噛み付いているピンクを振り放して投げ入れた。

「キェーー!」

 ピンク色の縫いぐるみは焼かれた。体の中から毛穴を通して怪しい液体が流れてくる。と、

同時に動きが鈍くなってきている。

(それにしても強い。あんなひどい物ができるなんて思わなかった。工場を潰すといってもそ

の後、僕も殺されたら意味がないからな。まあ、火であぶれば、危ない奴はおとなしくなるっ

てあいつは言ってたけど。とにかく、今のままじゃ手に追えない。いてぇ。腕がひどい。潰す

前に、ドクターに見てもらった方がいいな)

 カンドゥの左腕は目茶苦茶だ。間接のところから骨がもろに見えている。

 焼却炉の周りに熱さで、激痛がカンドゥを襲う。

「キュー」

 猫の縫いぐるみ  ピンクは体から変な音を立てて潰れている。

(このくらい燃やせばいいんだろうか? 上げてみるか)

 カンドゥは、近くに立て掛けてあった鉄の棒を右腕で持った。

(あちち)

 我慢しながら、火に近づいてピンクを引き上げた。

 ジュワワ

 ピンク色の縫いぐるみは、激しい音を立てて上昇する、白っぽい煙が発生させていた。

 カンドゥはピンクを地に落として、ジッと見つめていた。

 火で焼かれていたわりにはなんの外傷もなく、焦げ臭い匂いも特にしない。はっきり言って

以前となんら変化はない。カンドゥがかけた液のせいだろう。

 ピンク色の猫はボーッとして辺りを見回す。何が何だかわけの分からない、といった表情で

ある。

(なおったのか?)

 そしてカンドゥの目は、ピンク色の猫の目と合う。

「……ん? なんだ、君は? それにここ、やけに熱い。なんだか、よく分からない……」

(んん。いまいちはっきりしないな。……よし、とりあえず)

「んとなあ、ここは焼却炉っていって、物を焼くとこ。だから熱いんだ」

「ふーん。分かった。でも、なんでこんなとこにいるんだ?」

(お、なんとなくよくなったような気がする。前のような恐ろしい気がしない。本当になると

はね)

 カンドゥは崩れた笑みで縫いぐるみを見た。腕の痛みは多少忘れているようだ。

「僕の名前は、カンドゥ。一応、人間。君は縫いぐるみで、んーと、まあ詳しいことは後で言

うよ。で、名前は、ピンク……はもうやめた方がいいな」

「は?」

「ああ、聞きながしてくれればいいよ。んー、どうしよっかな。……よし、狂暴さが抜けたっ

てことで、語尾をとって、『ピン』にしよう」

「……なんか、今、無理やりつけられたような気がするんだけど」

「まあいいから。とにかくそんなわけで君の名前はピンだ」

「……分かった。僕はピンだね」

 ピンは熱さでまだ意識がはっきりとしていなかったが、名前だけは一応覚えた。

 熱さのせいで、まだピンには近づけないが、とにかくカンドゥは満足した。

「ピン。君にはこれからいろいろと手伝ってもらいたいことがあるんだけど、やってくれるよ

な。って、べつに脅迫してるわけじゃないんだけど」

「いきなりそんなこと言われても困るんだけど……。まあいいよ。ピン、やることがないから、
そうするピン」

「おっ、そうか! 助かるよ。それと語尾に『ピン』って付けるのもなかなかだ。とりあえず

ここを出よう」

 カンドゥはニヤけた顔で歩き出した。ピンは不思議に思ったが、とにかく後を付けていった。
 先程の警備隊員の悲鳴が響き渡っていたのにも関わらず、人っ子ひとり出てこない。そんな

通路に血が滴る。電灯の少なさのせいでほとんど分からないが。

 常に静けさを保つこの通路と焼却炉から、ふたりはゆっくりと抜け出していった。



     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆



「で、その後、彼と僕は仕事場に戻ったんだけど、やっぱただで済むわけがなかったんだピン」
「なんかあったのかミ?」

「ピン……。カンドゥさんところの隊長の野郎が、百人くらい仲間連れて、僕達ふたりをメッ

タメタにしたんだピン」

 ピンは思い出していたら腹が無性に立って、ミドに八つ当たりしている。ミドは何もできず

にうごめいている。

「ふ、ふっざけんじゃねーミ! べつに俺は何もしてねぇじゃねーかミ! ぬぁにが俺のせい

なんだミ! 関係ねーじゃねぇかミ! 第一、俺が登場してねぇ  ぶはっ」

 ミドはピンの足をはねのけて怒り狂ったが、ピンに潰されて動けなくなった。とにかく相当

怒っているのが鋭い目付きで分かる。

「うっせーピン! こっからが重要なんだからいちいち叫ぶなピン! こんのクソミドが!」

 ピンは再び思い出しながら蹴った。

 草原が揺れはじめる。風がピンたちを吹く。空は、広い雲に覆われているとはいえ、真っ青

だ。ピンは風に当たって気を晴らした。

「僕はカンドゥさんにつくってもらったんだけど、お前もそうだったってこと、知ってんのか

?」

「え? そう……なのかミ? 俺もあいつにつくられたのかミ。はじめてあいつを見た時から、
なんか変な気分だったのはそのためかミ! 野郎……、なんか変な気分を味わわせやがって!

許せねぇ奴だミ!」

「そーゆーこと言ってんじゃなくてだなぁ。とにかくカンドゥさんがお前をつくったんだピン。
分かった?」

「でも、だからって俺は何もしてねぇミ! してねぇったらしてねぇミ!」

「だからぁ、あの後お前がやらかしたことは何か、って言うとな……」



     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆



 実際に狙われたのはカンドゥだけだったが、ピンも共犯ということで共に罰せられた。

 幸運なことに半殺しで済んだのだが、それでも激痛を免れることはできなかった。

 焼却炉からしばらく歩くと着く、縫いぐるみ製作最終作業場……。

 ゴトン

 通路を真っすぐに行ったところにある大きな、部屋とも言えるところ。その一室の中から奇

妙な音がした。何かが落ちた音である。

 長く、蛇のようにクネクネと曲がっているベルトコンベアの上から、縫いぐるみがひとつ、

落ちた。

 緑色の毛で覆われている。いかにも怪しい物体だ。耳があって、目もついている。が、手足

がなく、黄色い小さなリボンがついているその縫いぐるみは、製作上ミスがあったようで、な

んだか全体的に不自然な格好をしている。

 恐らく、いや、百パーセント販売したところで売れそうにないだろうその縫いぐるみを見て、
一瞬で判断する。

「なんだこりゃ?」

 そんな感じの売れそうにない、おそらくこの世でたったひとつの縫いぐるみ。

 それは真っ暗な通路に続く出口へと向かって転がった。止まったのは、ちょうど開いている

ドアの近く。まだカンドゥとピン(主にピンだが)に殺された警備隊員の遺体がそのまま残っ

ている。周りには、大勢のハエがたかっている。

 トロ……

 境目には怪しげな液体が流れている。半透明の黄色い液体である。暗くて近づかないと理解

しにくいが、確かに黄色い。

 それは少しずつ、少しずつ落ちた縫いぐるみに近づく。

 縫いぐるみも近づく。なんか偶然とは思えないような出来事で、意図的のような感じである。
互いに引き寄せ合って……そして、

 触れた 

 ……ド、ドドドド

 縫いぐるみに液体が染み込んだ。

 ザワザワ……

 緑の毛が逆立って、静かにそれは動き出した。

「……?」

 まだ意識がはっきりとしていない。ピンと同様の感じである。

 全身には、まだ液体がゲル状にまとわりついて、床にも垂れている。

「なんだ?」

 それは辺りを見回す。警備隊員の死骸の他には何もない真っ暗な通路だ。その一本道の先に

ある焼却炉に、その縫いぐるみの目は奪われた。

(向こうの方から、何かが俺を呼んでる)

 縫いぐるみは思いながら、その方向へと進みだした。キョロキョロと歩きながら、ところど

ころにある小さな部屋に時々入りそうになりながら、あえてそれを拒み、とにかく焼却炉に向

かう。

(だが、一体俺は何者なんだ? ここもなんだかいまいち分からない。誰か教えてくれる奴は

いないのか?)

 焼却炉の火の明かりが見えてきた。そしてその炉が見えそうになった時、

「  な、なんだピン、お前は! もしや縫いぐるみかピン! カンドゥさん! ちょっと来

てよ。何か変なのがいる!」

 ボロボロになった姿で、ピンは緑色の物体を見て叫んだ。

 ピンの毛は暴行による毛抜きで、全身がチリチリになっている。

 そこに彼も駆けつけた。

「なんだって  っていうことは、僕の他にもあの液体を持ってる奴がいたってことか。……

いや、そんなはずは……」

 彼  カンドゥは自問しながらその縫いぐるみを見た。

 カンドゥの左腕は途中からなくなっており、骨が見える。ピンの攻撃の後に、従業員たちに

やられたからであろう。右腕も傷だらけ。全身に傷を負っている。

 ピンは生物ではないので、見た目はひどいが実際には何の支障もない。まあ、精神的には痛

かったのかもしれないが。

 とにかくそんな状態でふたりはここにやってきた。

 緑色の物体は、何を話しているのか興味深く、こちらを見つめている。

「ん?」

 ピンは焼却炉のそばにいるその緑色の縫いぐるみに近づいて、よく見てみた。全身が液体で、
ドロドロに汚れている。ピンは鼻を鳴らして即座に感じとった。

「これって、僕についてたのと同じじゃないかな」

「そりゃそうだろ。縫いぐるみが動いてるんだから。その種の液体を掛ければ、誰だって強い

縫いぐるみをつくれる。うまくやれば頭のいいのだって。……しかし誰だろうな。僕以外は持

ってる奴なんていないはずなのに……」

「いや、だから僕が言ってるのは、これ、カンドゥさんが僕にかけたのと、全く同じだってこ

となんだピン」

「なんだって? 本当か?」

 カンドゥは再び驚いた顔つきでピンに向かった。

「うん。でも、一体なんでピン?」

 その縫いぐるみは、話の内容がわけの分からないものだったので、気にしなくなった。

 そのまま炉に近づき、そして入る。

「なんだ? 自分から入ってったぞ! ……まあ縫いぐるみならそっちの方が助かるけど。ま

たピンのような出来事が起こると大変だからな」

「え、なんのことピン?」

「いやいや、なんでもないよ」

 ピンはきょとんとしてカンドゥを見たが、カンドゥは知らんふりをした。緑の縫いぐるみは、
火の中っで叫んでいる。

「ギャゴエー!」

「き、気持ち悪いピン! ねえ、カンドゥさん。そう思いません?」

「ああ。まあな」

(ピン……、お前もたいして変わんなかったよ)

 カンドゥはピンの問いに少し戸惑ったが答えた。

(だが、本当になんでか分からない。仕事に疲れたからたまたま来てみたら、いきなりあの怪

しい縫いぐるみがいるんだもんな。しかも一人出に焼却炉に入っちまうし。たぶん、野性さを

なくすためだろうけど。けど自分から行くってところが、またよく分からない)

 カンドゥは腕組みをしながら……というわけには左腕がないのでいかなかったが、そんな形

で見ていた。

 ジュワワ

 中でもがいている。カンドゥは見ていたが、ふと思いついた。

(誰がつくったとか、何でかなんてことは、もうどうでもいいや。あいつを仲間にできれば、

儲けもんじゃないか。よぉし、やったるぜ!)

 カンドゥはしばらく深刻な顔で見ていたが、急に満足感溢れる表情になった。っと、カンド

ゥはピンと取った時と同じ棒を壁から取って炉を覗いた。

「……たぶん、これだけ燃えれば大丈夫だろう……と思うんだけど」

 少し迷ったが決めて、燃え盛る縫いぐるみを引っかけて取り出す。ピンも近寄ってきた。

 そのままカンドゥは棒を下ろして床に縫いぐるみを置く。

「大丈夫かピン?」

「……なんかあったかいぞ。……  なんだ、お前ら!」

 その物体も、ピンが出てきた時と同じような感じである。目を丸くして、こちらを見ている。
 カンドゥはその縫いぐるみの目線の高さにできるだけ近くなるよう屈んだ。

「じゃあ、君の名前は? 普通は自分から名乗るもんだ」

「何? ……そういえば、俺ってなんだ? 何がなんだかさっぱり」

 縫いぐるみは困っていた。カンドゥは少しニヤけて、

「じゃあ教えてやろう。まず、君は僕たちの仲間だ」

 言った。

「仲間? 本当か?」

「おう。んでもって、僕はカンドゥ。こっちが猫のピン。覚えておいてくれ」

「……ああ、分かった。で、俺は何?」

 緑色の物体が聞いてから、少し間があった。カンドゥはピンを見て、思いついた。

「よし、君の名前は緑色だから、『ミドリ』にしたいんだけど、ピンと同じにした方がいいか

ら、『ミド』だ! 分かった?」

「……なんか今、無理やり付けなかったか、カンドゥ?」

「いや、そんなことはない」

(なんだか、ピンの時とたいして変わらないな)

 カンドゥは内心おもしろがっていたが、ミドが不満そうにこちらを見ていたので、対応した。
「いや、まあそんなわけで、そういうことだから。……て、何言ってんだか分からなくなっち

まったけど、とにかくそういうことだ。とりあえず理解してくれ」

「……まあ、いいや。分かった。俺はミドだな?」

 ミドは名前以外に特に不満はなかったので、とりあえずカンドゥに近づいた。そこへ黙って

いたピンが来て、説得力のある(とピンがそう思っているだけだが)話し方で言った。

「それで、僕達はカンドゥさんの言うように、この工場を潰して、新しいのを建てるんだピン。
具体的にどうするかは知らないんだけど。詳しいことは後で教えてもらうんだピン。ってわけ

だから、君と僕は手伝うんだピン」

「ちょっと待ってくれ。ふたつ聞きたいことがある」

「なんだピン? 言ってみろピン」

 ピンとミドは深刻な顔つきで対峙した。カンドゥはおもしろがって脇で見ている。少し、焼

却炉の近くだったので熱かったが。

「ひとつ目、なんでそんなことを俺が手伝わなければならない? そんな義理は、少し名前を

教えてもらったこと以外にはないぞ」

「うるさいピン! お前になくても、僕にはつくってもらったっていう義理が、カンドゥさん

にあるんだピン。ってなわけだから、お前も手伝えピン」

「ちょ、ちょっと待て。そんな理由で手伝えるわけがねぇだろうが。手伝ってもらいたかった

ら、俺様を倒してからにしろ」

「そうか。そこまで言うのならそうしてやるピン。お前も縫いぐるみだからそれなりに強いん

だろうけど……。本気でやってやるピン! おとなしく始末されろ!」

 ピンは調子に乗っているミドに襲いかかった。ミドは笑っている。余裕のようだ。

「何 」

 ピンは少し恐れたが、後戻りはできないので突っ込んだ。

 ドグォ 

「……ん? 倒したのか、ピン?」

 ミドはピンの一撃で、気絶しかけている。ピンは、ミドのあまりの弱さに驚いてポカンとし

ていた。

(あれえ? 僕と同じ縫いぐるみなのに、なんでこんなに弱いんだピン?)

「ぐはぁ。や、やるなあ、ピンよ。俺をここまで追い詰めたのは、お前が初めて……ぐぉ」

「何、わけの分からないこと言ってんだピン! こんのザァコ」

 ピンは倒れているミドへと跳んで、足で踏み付けた。ミドは死にかけた状態だ。

 ピンは怪しげな笑みを見せる。カンドゥは熱さでまいっていた。

「ま、こういうことだピン。おとなしく手伝えピン! まあ、弱いお前が来ても、あまり力に

はならないと思うけど」

「ぐっ! 仕方ない。やってやるよ。いたたた……。っんとにマジでやってくるからな。ちく

しょう……」

 ミドは目を瞑って言う。ピンは少し調子に乗っている。

「で、ふたつ目はなんだピン?」

「そうだ。その語尾の『ピン』って、お前の名前だろ? あほらしくない?」

「うっせーピン! カンドゥさんが気に入ってくれたんだピン! 馬鹿にするとは許せんピン

! ぶち殺してやる」

「わっ、待ってくれ。分かった……。俺も真似すりゃいいんだろ?」

「……まあ、そういうことだピン」

 カンドゥはふたりの会話を聞いて、熱さを紛らわした。

(ったく、なんの話をしているのやら。語尾なんてどうでもいいのにね。まあ、ピンの『~ピ

ン』はけっこう気に入ってるけど。……しかし熱いな。早く戻りたいんだが)

 ミドはそんなカンドゥを気にせず考えた。

「ってことは、俺はミドだから、『~ミド』って言えばいいんだな?」

「おうピン!」

「分かったミド。これからはそうするミド。……なんかさあ、『~ピン』と違ってしっくりこ

ないんだよな。……『ド』は抜かした方がいいかも。よし、『ミ』だけにするミ~! お、い

いね。どうだいミ?」

「もう、なんでもいいピン。それでいけば? でも手伝えピン」

「分かってるミ! 本当にいいミ~」

「………」

 ピンは呆れて見ながら聞き流した。で、カンドゥの方を向いて言う。

「ミドもこれで仲間だピン! よかったピーン、ねぇカンドゥさん」

「どうでもいいから、早くここ、出ない? よく熱くないな」

 カンドゥは顔を真っ赤にして言った。ぐだぐだになって地上の方へゆっくりと向かう。

「待ってくれピーン」

「待ってくれミー! 本当、最高! 『ミ』って♪」

「………」

 ピンとミドは、カンドゥの後についた。

 焼却炉の火が、なぜか弱まってきている、年中使われているこの焼却炉は、そんなことは起

こらないはずなのだが。

 ……おそらくあの液体が影響を及ぼしたのだろう。だが三人は、……まぁ、ふたりは『人』

ではないのだが、とにかくそんなことはどうでもよかった。

「げ、やばい!」

「何がピン?」

「やばい、ってなわけでもないんだけど。最近、ファルに会ってなかった。早く行った方がい

いな。あいつ、心配症だし」

「ファルって、誰ピン?」

「いや、……誰って聞かれてもな。まあ、仕事仲間ってヤツだよ」

「ふーん」

 カンドゥはあまり仲間との関係が良好で……とは言えないが、そういうことについて考える

のが、一種の趣味であった。思い出しているうちに、異様な表情になっていく。ピンは気持ち

悪くなりながらも見ていた。

「……んで、なんの仕事なんだピン?」

 カンドゥは正気に戻って、ピンたちの方に向き直った。顔中汗だくである。

「その前に上に戻ろう。死にそうなんだ。よくこの熱さに耐えられるな。本当は用がすんだら

すぐに戻るのが、ここの規則なんだぞ。それからファルにも伝えたいしな」

 ミドはカンドゥの言葉を聞いていて、また疑問が沸いた。

「おい、ピン! 俺って、なんでこんなところにいるんだミ?」

「さあ。僕はカンドゥさんにつくってもらったらしいんだけど、それ以外は知らないな。気が

ついたら、ここにいたんだピン。詳しいことは後で聞くピン」

 ミドはいまいち納得がいかずに、ぶつぶつ言っている。ピンはカンドゥの足元に走った。

(なんなんだミ? なんで、俺って俺なんだミ? 気が付いたら勝手にこんな展開になっちま

ったけど、いきなりすぎて全く何がなんだか分からねーミ)

 床に音を響かせ、跳ぶ。とにかく全てが気に入らなくなったようだ。

「ミド、何やってんだ! 来ないとまたぶっつぶすピン!」

「わ、分かってるミ!」

 だが、まだしつこくミドは文句を言っている。ピンたちは少し待ったが、遅さに切れた。

「ったく、この熱いのに。先に行くから、ついてこいよ」

 カンドゥは叫んで上への階段を上りはじめた。

 グツグツ

 ミドは焼却炉から離れたところにいた。離れたとはいっても、並の人間ならばけっこう暑苦

しい。そこで立ち尽くしている。

(……??? ……? よく考えたら、なんであんな奴らの言うことなんてきかなきゃなんね

ーんだミ? あの猫、まぐれで勝っただけなのにいい気になりやがって、許せんミ! でもま

あ、あの男は俺の名前を親切に教えてくれて……いや、かってにつけたのかもしんねーミ。で

も、とりあえず、『ミド』と『~ミ』だけは覚えといても損はないからな、それはいいとして。
でも、なんか変だミ。うまく歩けねーし。形が悪い気がしてならねーミ。なんかものたりねー

ミ。もしかして、奴らのせいなのか? あー、もう、そんなことはどうでもいいミ。これから

どーしよっかミ)

 ミドはそんなことを考えながら歩きまわった。焼却炉の前に戻り、はじめて気が付いたとこ

ろ  縫いぐるみ製作最終作業場のドアの前まで来たいた。

(うむむ。やっぱりあの人間に従うしかねーのかミ? ……ん?)

 ミドはドアの下にちょっとしたものを発見した。

「なんだミ、これは……?」

 部屋のドアを少し出た辺りに、怪しげな液体。さらにいまだに残っている死体。ともにミド

の好奇心をそそるものだ。

 ミドはジロジロと周りを見ながら歩きまわっていた。

「むむむ……、この液は、俺についているのと同じだミ。俺は知ってるミ。この液で俺が生ま

れたんだろ? それと、こっちのはなんだミ? 肉かミ? なんか、赤い粘った液体だけど、

気持ち悪いミ……」

 おもしろがっていたが気持ち悪さに死体を蹴飛ばした。蹴って、だが肉とはべつに、血には

興味があり、目を向けさせられた。

「この液はおもしれーミ。なんかちょっと変な感じがして。黄色いのとこれを混ぜたら、どう

なるのかミ? とりあえずやってみるミ!」

 ミドは黄色い液体を部屋から遠ざける、というか死体に向けて流した。部屋から焼却炉に向

かってはやや傾いてるので、混じるのに適している。

 ただ、液を垂らして待つだけでは厳しいものがあるので、何かものを使って押し流せば、意

外と簡単だった。……次第に混ざる。

 ジュー

 蒸発しているのだろうか、煙が発生している。ジッと見つめているミドには、そんなふうに

見えた。

「うわぉう。おっもしれーミ! もっとしっかり混ざれミ!」



「それにしても遅いな、ミドのヤツ。何してんだろ」

 カンドゥは、やや斜め上を見ながら独白した。仲間の心配というよりは、自分の目的につい

ての不安感を抱いている、といった感じである。

「ひとりでも多いと、かなり助かると思うんだけど。まあ、あいつはどうか分からないけど」

 ピンに話しかけているつもりなのだが、ピンにはあまり興味がないせいか、周りの人達に注

目している。

 特に目だったものなどはないが、ピンにとっては、はじめて見るものが多すぎた。

 そんなピンは、あまり、働くカンドゥの手伝いには向いていなかった。

「カンドゥさん、僕達がやってることって、他の人達と比べて、情けないような気がするんだ

けど。ただ、布を切って向こうの人に渡すだけなんて」

「んなこと言わないでくれ。命令なんだから仕方ないだ。それに、うちの作業は地味だけど、

……その言葉どおり地味なんだ。けど、重要だよ。疲れるしな。まあ、もう少しの辛抱だよ。

機会があったら、こんな仕事もやらなくて済むようになるんだからな。っちゅうことだ」

「……うん」

 ピンは言われるままにした。近くにある大きな段ボール箱に同様の布がたくさんある。その

ほとんどが埃塗れである。

 布を手に取った。

「ところで、工場を潰すって、具体的にどうするんだピン? そろそろ教えてほしいピン」

「ああ。他の奴らには言うなよ。この工場の人間どもを全員ぶっころすんだよ、グッチョグチ

ョにな」

「えぇ  こ、こ、殺すてかき  」

「声がでかいって! 静かにしてくれ」

 近くにいた従業員たちがこちらを見た。ピンの声が大きすぎたようだ。しかもピンク色の猫

がいたので、そっちも併せて驚いた。どちらかというと、声よりもピンの方を見入る者の方が

多かったが。

 少し間をおいたら、再び作業にとりかかった。ピンが、本物の猫でないことは、距離があっ

て分からなかったようだ。ふたりはホッとした。

「危ない危ない……。バレたら、拷問だったところだ」

「……ごめんピン」

 皮肉気に言うカンドゥだったが、それはそれで嬉しかったのかもしれない。彼には、話し合

う仲間がいない。

「けどさ、殺すっていうのは、嘘だよ」

「なぁんだピン」

 ピンはがっかりした。実はけっこう期待していた。

「嘘っていうのは、全員っていうことだけどな。隊長のような奴らは、やむなく殺すけど。気

が合いそうな奴は生かす」

「……けっこうひどいピン」

「まあな。でも下っ端の奴らは、みんな、僕と同じ考えのはずなんだ。たぶん、殺すことには

ならないと思う」

「ふーん」

 ピンはあまり動揺しない感じであったが、溜め息をついた。

 カンドゥは続ける。

「それから、僕達は、自由で新しいU・U・U工場を建てるんだ」

 ピンは目を丸くして聞いた。なんだそれ、といった感じの眼差しである。

「この工場の名前だよ。なんでU・U・Uなのかは分かんないけど。なんか略してんのかな。

まあ、そんなことはどうでもいいけど。ってなわけで、工場を立て直す……ってことだ」

「……でもさ、べつにそんなことしなくてもこのままでいいと思うんだけどピン。なんで立て

直すんだピン?」

 カンドゥは突如深刻な表情になった。思い出すように話そうとするカンドゥ。ピンも真面目

になって聞いた。

「この工場って、悪人が集まるところなんだ。簡単に言うと、僕もその一人だ」

「え?」

「って言っても、たいしたことしてないんだけどな。教えてほしいか?」

「ほしいピン」

「実はな、昔、路上で二十歳前後と思われるカッコイイ男が歩いてたんだ。なんだか知らない

けど、なんか気に入らなかったから、ナイフで突き刺したんだ。そしたらいきなり捕まってさ。
な、たいしたことないだろ?」

「……十分たいしたことだと思うけど」

 ピンは、カンドゥに対するいいイメージが崩れたことを実感した。

 カンドゥは分からずに、手を顎に当てている。

「とまあ、そういうことでさ、そういう工場なんだ。だからしごかれるだろ? でも、それが

凄いんだ。並じゃないんだよ。言葉に表せないくらい。ピンも拷問受けただろ? あれが毎日

ってくらいだよ。だから、絶対ぶっつぶすって、前から決めてたんだ。だから、これからが大

変だけど、ピンも手伝ってくれるよな」

「まあ、生みの親だっていうカンドゥさんの頼みなら……」

「ん? なんか不満があるのか?」

「いや、べつにないんだけど」

 ピンは戸惑いながら布を微塵切りにしている。それをカンドゥが右手で阻止しながら注意す

る。

「カンドゥさん」

「ん?」

「そろそろ詳しく教えてほしいピン。あの液のこと……」

「そうだな」

 言って、カンドゥはピンが切り裂いた布をゴミ箱の中に投げ入れた。

「まず君は縫いぐるみだ。初めはただの。今は生命を宿す僕の縫いぐるみ……と思う。僕は工

場に来てから、何年か経つんだけど、いつか忘れたなぁ、確かそんな前じゃなかったと思うけ

ど、二週間くらい前かな、ある者からあの液をもらったんだ」

「ある者……?」

「話すと長くなるから、そいつのことは今度な。で、その液は『キニメチェル』っていうんだ

けど、意味は分からない。古代のなんとかがなんとか……って教えてもらったけど、そんなこ

とはどうでもいいよな。で、その液を縫いぐるみにかけると、命を宿すという……」

「……それで今、僕は生きているってことかピン?」

「……そんなとこだな」

「でも、なんで縫いぐるみの僕にしたんだピン?」

「縫いぐるみじゃなきゃいけなかったし、それに何かこう、見た時にひかれるものがあってね」
「ふーん」

 ピンはある程度理解して、納得したようだった。表面には出さなかったものの、ミドと同様

に頭が混乱していたのだ。そして、まだ疑問はあった。

「じゃあ、ミドも?」

「分からない。ピンについた液が、ミドにも流れていったのかもな」

「なるほど……」

 ピンは内容をほぼのみこんで、再び布を微塵切りにしはじめた。カンドゥがまた、右手で阻

止する。

「ってことさ。工場を潰すのは、ファルにも手伝ってもらうつもりなんだ。やってくれると思

うんだけど……」

「ああ、カンドゥさんの仲間のひとりだったっけピン」

「そう。ハゲで、体格がしっかりしてて、その代わりに、人一倍優しくて、心配症な、いざっ

て時には頼りになる、いい奴なんだ」

「ふーん」

「また『ふーん』か。ピンの口癖だな、こりゃ」

「悪かったなピン」

 ピンには馬鹿にしているようにしか思えなく、眉間に皺を寄せている。カンドゥは思い出す

たびに顔がニヤける。それが彼の癖だ。

 カンドゥほど考えることが異常に好きで、そのたびに気を失って変な顔になる男は、まずい

ないだろう。おもしろくもないのに顔が崩れるのは、よく分からない少しずれた男だ。

 っと、突然真面目な顔で床に座った。

「僕って、人と話すのが苦手で、接待とか、付き合いとかが、いつもうまくいかないんだ。だ

から、自分からそういうのを避けてきたけど、ファルとだけは、一緒にやっていきたいと思っ

てるんだ。僕が、そんなふうに人と付き合いたいなんて思ってるの奴は、そういるもんじゃな

いんだぜ。まあ、ピンは例外だけどさ。だから、ピン、君からもファルを説得してくれ」

「説得って、まだ話してなかったのかピン?」

「まぁね。教える前に、生きた縫いぐるみを見せて、一緒にやろうって言いたかったから」

「分かったピン。そこまで思ってるのなら、やってやるピン! 僕の力を最大限に使ってやる

ピン! 共に頑張ろうピン!」

「おう!」

 ふたりはガッチリと手を握りあった。……というか、ピンの手は小さすぎたので、カンドゥ

がピンの手を掴みとったといった感じだ。

 カンドゥの左腕は、ない。出血が完全に止まってはいるが、ピンにとっては実に痛々しい。

まあ、カンドゥは別段気にしているようではないが。

「今からそのことをファルに伝えようと思うんだ。一緒に来てくれ」

「O・Kピン! でも、ミドはどうするんだピン?」

「さぁな。でもたぶん、後から来てくれるだろ。弱いとはいっても、一応縫いぐるみなんだし」
 ふたりは布切りの作業を中断して、辺りの様子を見渡した。ファルとカンドゥは同じ班なの

で、そう遠くにはいないはずだ。

「……おかしいな。いつもはこの辺にいるはずなんだけど。休憩室かなぁ。あいつ、いつもあ

そこにいるからな」

「じゃあ、行ってみるピン!」

 しばらく辺りを見て、休憩室に向かうカンドゥは、胸を熱くしている。

「おぉ! やる気が沸いてきたぜ! わくわくしてきた」

 ピンはそんなカンドゥを見て、悪い気はしなかった。

(よっぽど工場を潰して新しいのを建てたいんだなピン。頑張ってくれピン!)

 思ってカンドゥについた。

 相変わらずうるさい騒音の中、ふたりはせっせと働く他の従業員たちを見ながら歩く。すご

い人数である。だが、辺りは見渡せる。少し違った世界。歩くふたりを気にしているほど、周

りの従業員たちに暇はない。

 休憩室に入る時間帯は班ごとに決まっており、時間外に一歩でも足を踏み入れると、これも

また拷問の始まり。大体、皆、見向きもせずに、入っても、大抵の場合は分からないので、カ

ンドゥとファルは頻繁に入っていた。他の従業員たちもそうだったが、仕事をやる時はやる。

けじめだけはついている。そうでないと、まずいのだ。見つかったり、作業が遅れているのが

分かると、拷問を受けることになる。当然のことだが、ここはそれがひどすぎる。まあ、そん

な感じで彼らは生きてきた。その中でもカンドゥは、周りの者たちに比べて何倍も罰を受けて

きた。

 自由のなさすぎに、カンドゥの怒りは頂点にきていたのだ。他の従業員たちもそう思ってい

ると耳にした彼は、仲間として、工場を新しくしようと考えているようだ。

 カンドゥには夢がある。こんな苦しい生活を送っていてもおもしろくない。新しい工場を建

て、楽しみながら働く、そんな大きな夢だ。

 今まで耐えてきたが、そろそろそれを決行する時がきたようだ。



「キャッキャッ」

 静かな、暗い通路に、ミドの甲高い声が響く。

 七、八人の死体の血と、その液体とが、完全に混ざるのにはけっこうな時間がかかる。混ざ

るのを喜んでみているミドには、時間なんて関係なかったが。

 ……そして、ついに液体と血が完全に混ざった。

 ドゥゴォーン 

 激しい爆発音が鳴り、辺りの壁が崩れた。四方十メートルくらいの範囲で。

 混ざった液体付近から、大量の、やや黒っぽい煙が出て、途端に満ちた。二、三分ほどで工

場全体に広がるだろう。

「うわぁおう、おっもしれーミ」

 ミドは崩れてくる岩を気にせずにうかれていた。

 ミドの周りを、煙が囲う。そしてその直後、通路全体に光が灯った。どこから出てくるのか

分からないが、少なくとも、電灯かなんかではないようだ。床から光が漏れてくる。

 煙は異様にすごい量だが、ミドは余計に(なぜか)喜んだ。はしゃぐ。

「ミーミー。あんな奴らと一緒に、工場改革だかなんだか知らんがやってるより、こっちの方

が百倍おもしれーミ! なんか、未知に対する願望、って感じで最高だミ!」

 ミドはうかれて、混ざってジュージュー蒸発している、いかにも危なそうな液体を焼却炉に

向けて押し流しはじめた。光の強さが炉に向かう。どうやら、光は液体によるものらしい。

 しばらく流して、焼却炉の一室まで、ミドは胴を床に擦りつけてきた。

「お? あそこに流しこんだら、もっと、とてつもなくおもしろそうな気がするミ! カッカ

ッカ! めっちゃおもしれーミ! なんだか知んねーけど、本当にハマッちまったミ! 笑い

が止まんねーミ!」

 ミドは狂いはじめて、大口を開けながら大きく跳ねている。どんどん体を滑らせて、液を炉

に向けて流す。

 ここの焼却炉は少し特別製で、床からものを焼くような感じで、……要するに、地下への階

段、のような感じに造られているのだ。そのせいで、そのまま流していけば、炉にそのまま流

れることになる。

「流れろミー!」



「おっ! やっぱりここにいたか!」

「え? なんで見えもしないのに分かるんだピン?」

 休憩室のドアのすぐそばまで来た。

 いつもの白い煙であふれてもわもわしている。中の様子を知ることのできる唯一の窓は、扉

とは反対側についているので、ここからでは、中を識別することは不可能のはずなのだが、カ

ンドゥには分かった。

「ファルの葉巻の臭いだよ。あいつのは特別でね。いつも休憩室に置いてあるんだけど、他の

従業員じゃあないと思う。こういうこと言うもんじゃないんだろうけど、あいつのことは僕が

この工場の中で、一番知ってるつもりなんだ」

「ふーん。ファルって人のことは、なんでも知ってるってわけね」

「ああ。それだけが自慢さ」

 カンドゥは本当に自慢げに言い、再び顔を歪ませた。

 カンドゥはピンのことと、工場を新しくするということをファルに伝えたいという気持ちで

いっぱいだった。

(あいつにピンのことを教えたら、めちゃくちゃ驚くだろうな)

 カンドゥはそう思いながらドアを開けた。

「ファ  」

 ドゥゴォーン 

 遠くからものすごい爆発音。併せて灰色っぽい煙が押し寄せてきた。こちらに近づいてくる。
次第に工場全体に広がった。ドアの開いたところから煙が休憩室へと入っていく。辺りは何も

見えない状態だった。

「な、なんなんだ、この煙は  く、苦しいぞ!」

「だ、大丈夫かピン  僕はなんともないんだけど」

 ピンには特に影響はないようだが、カンドゥにはおおげさすぎるってほどに苦しいようだ。

 だが、カンドゥはそんなことよりもファルの方が心配だった。

「ファ……ルを助けん……と。ぐふぁ!」

 カンドゥは血を吐きながらも気にせず、休憩室へと入った。ピンもついていく。重症のよう

だ。

「無理しない方がいいピン  工場からも逃げた方がいいような気がするピン! なんか、本

当にヤバそうだよ! カンドゥさん! 工場を立て直すんだろ、こんなところで  」

「それよりファルが心配なんだ。あいつは、僕に前から話しかけてくれる、唯一の仲間なんだ。
たったひとりの仲間をこんなとこで失って、たまるか!」

「カンドゥさん……」

 奥に進む。中もひどい煙だ。その中にひとり、叫ぶ者がいた。

「助けてくれ」

「ファルか? 待ってろ」

 カンドゥは煙の中に倒れているファルを、屈んでかかえた。

「ウワァオーン、ウワァオーン…………」

 警報が鳴りはじめた。ピンは慌てて、オロオロしている。

「カンドゥさん! 本気でヤバイピン。早くしないと!」

 だが、それを無視するようにカンドゥは叫び続けた。

「おい、ファル! 大丈夫か! ファル、ファル!」

 が、返事はない。ピンはその様子を冷静に判断する。

「カンドゥさん。まだ、その人、生きてるピン! だから、早く出ましょう」

「……うあぁ……くっ」

 カンドゥは苦しまぎれにファルを抱えて、休憩室を出た。

「でもどうやって……。うう、この工場には出口というものがない。……そうだ! ピン、君

はすごいパワーを持ってる。それで壁をぶち壊して、ファルを連れて逃げてくれ! ひとりく

らいなら、君の力で担げるだろう。……そ、それから他の従業員たちも逃がしてくれ……。任

せるよ」

「え? じゃあ、カンドゥさんは?」

「僕も逃げたいけど……。無理のようだ。いいんだよ、ピン。工場のことは君に任せる。ファ

ルに、僕の言ったことを全て、伝えてほしいんだ。たぶん、分かってくれると思う。知り合っ

てから間もない君に、僕がこんなこと頼める義理はないんだけど、頼む! ファルと再建して

くれ」

「な、何言ってんだピン! あんなに工場建てるって、楽しみにしてたのに……」

「いいんだ、ピン。この煙、いつものとは違う。何か嫌な予感がするんだ。おそらく、あの液

によるものだと思う。もしそうだとしたら、……もう手には負えない。……はあ……はあ。そ

の前にこれを……」

 カンドゥは、いまだに光るブレスレットを右腕からうまく外して、ピンに手渡した。

「……これは?」

「何かの役に立つと思う。多分、この工場も……終わりだ。爆発する。早く行ってくれ。頼む

……な」

 意識が薄れて言葉が連続しない。

 ピンはしばらくカンドゥを見ていたが、彼の目に、やむをえず従った。そしてファルを背中

に乗せて走っていく。

(ピン、……悪いな)



 彼には悔いはなかった。ピンが絶対に夢を成し遂げてくれると信じていたから……。



 焼却炉、また叫ぶ者がいる。

「ミーミー! なーがれーろミー! 流れろミー! ケヘッ」

 緑色の縫いぐるみ、ミドだ。

 チリチリ

 ミドは液を炉に流し込んだ。

 そして……

 ピリッ 

 触れた 

 ヴァグォァーン 

「ミーーーー 」

「うぉああー!」

 ……カンドゥは死んだ。



     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆



 ヒュー

 風が揺れ動く。

「ってなわけで、てめぇがいけねえんだピン! ちったぁ身に染みて分かっただろーが! 思

い出すたびに泣きたくなっちまうんだピン! ピーン!」

 ピンは思い出し泣きした。風がピンの泣き声で余計ざわざわしてきた。

 と同時に、広大な草原が、広々とした雲が、揺れ動く。

「あー、分かったミ。全ては俺があの液を流したのがいけなかったんだろ? 分かった分かっ

た分かりましたよミ」

「くぉんのクソミド! てめー、全っ然反省してねぇな! おめーもカンドゥさんにつくられ

た身だろーが! 少しはいたわれ!」

 ピンは頭にきて、ミドを全体重で潰した。ミドは、無意味な抵抗をする。

「いってぇミ! やめろミ! もう十分復讐しただろ! いいかげん、足をどけてくれミ!」

「待てピン! まだ終わってねーんだピン! あの後が本気で大変だったんだピン! お前も

一応関わってんだからなピン! 話してやるから、もっと身に染みろ 」

 ピンは止めずにミドを踏み潰す。もがくが、相変わらず意味がない。ミドは仕方なく抵抗を

諦めた。

 ……そんな二匹を、風は吹きながら、鑑賞しているのであった。

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