2017年2月19日日曜日

明日に向かって 第1話





                               プロローグ





 「ハァ……ハァ」

 息を切らしながら、すぐ右側の鉄筋の扉を開いた。

 ダダダダダッ

「くっ!」

 外からは弾丸の嵐。何十人もの人間-『敵』が、外で待ち伏せている。ここから逃げ出すの

は、……まず不可能だ。

 およそ畳八畳分の小さなコンクリートの一室。正面にはもうひとつ扉があり、おそらくそこ

からなら奴らに気付かれずに、外へ逃げる事ができるだろう。

 -が、今動くわけにはいかない。

「おとなしく銃を捨てろ!」

 長身で正装をした、髪をオールバックにした男-『奴』が、銃を構えてこちらに命令する。

「……どうしよう?」

 俺のすぐそばには、『彼女』がいる。金髪のポニーテールで、髪を揺らしながら聞いてくる。
 びくびくしながら、彼女は汚れかけた服を俺に密着させた。

「君は逃げるんだ。俺が奴の隙を奪うから、その隙に向こうの扉からうまく逃げて!」

「……でも!」

「いいから!」

 意志のある……だが小声でそう言い、俺は奴と対峙した。

 小型で、そこまでの威力はないものの人ひとりを貫く事くらいはできる銃を一丁、俺は常時

持っている。

 その銃を手にとり、俺は大きく呼吸した。

 …なんとかなるだろう……いや、なんとかする!

 覚悟を決めて、もう一度彼女に言う。

「行け……」

「……うん」

 頷いて、彼女は俺から離れた。

「!?」

 奴は彼女の動きに気をとられ、俺から彼女の方に銃口の向きを変える。

 …よし!

「バーカッ、アーホッ、死ねぇ! ゲヘヘ!」

「な!?」

 奴の注意は、以外と簡単に引く事ができ、俺の『計画』は内心成功だ。

 -が、彼女は立ち止まったまま、こちらを向いて躊躇している。

「何をしているんだ! 早く行くんだ! 早く!」

「……けど!」

「いいから急げ!」

 そんなやり取りを、奴は呆然と見ているだけであった。

 おそらく奴にとっては以外な状況だったのであろうが、その奴の対応が俺たちにとっては助

かった事に変わりはない。

 ガチャッ

 なんとか彼女が外へ出てくれた。開いた出口からは、走る後ろ姿が見える。

 …よしっ。

 俺は、奴が再び彼女の方に気がとられたところに、銃を構え、そして-

 カチッ

 -弾が出ない。奴はその拍子にこちらを向いた。

 …な、なんでだ! 弾はちゃんと詰めておいたはず……!? しまったっ、詰めるの、忘れ

てた!

 内ポケットの中に素早く手を入れ、底まで探る。三つの弾丸がある。

 だが今から詰めている暇などはない!

「くそっ!」

 胸中で舌打ちをして、俺は思い切りダッシュで彼女の出て行った扉へと向かう。

 刹那!

 ドキューン!

「う………!?」

 発砲され、音が響く。

 ……が、どこも撃たれた感じはなく、痛くもない。奴との距離は、さほどない。……ミスす

るはずもないのだが。

 そこで俺は、ふと気付いた。

 …もしかして!?

 部屋の窓からは、彼女の姿が小さく見えた。……うずくまっている。

「ちくしょぉう!」

 叫んで、やむなく外に出る。奴は、……今度は俺の方に銃口を向けた。

 外にいた『敵』も、とうとう俺に気付いて走ってくる。

 …まずい。

 やや伏せた状態で、俺は彼女の逃げた方向へと向かった。

 …このままでは、殺られる!

 その瞬間、…左の横腹辺りに寒気を感じた。

 -そして、

 ドッ

「かはぁ!」

 いつの間にか、弾丸が俺の腹にのめり込んでいた。そして、大量の血液が出て-

「……?」

 -来ない。

 走りながら、横腹を見る。よくよく考えてみると、痛みも感じない。

 …確かに撃たれたのに。

 とにかく、痛みがないのならそれに越した事はない。

 彼女と落ち合う場所は、事前に決めてある。

 俺は死ぬ気で走り、そして奴らを引き離して彼女の元へと急いだ。





 洞窟、……そこが彼女と待ち合わせた場所。いや、洞窟とはいっても、中には十分な食料が

あったし、ローソクも持っていたため、その言い方は間違っていたのかもしれない。

 そのため、そんな『家』と大差ない洞窟の中では、一夜を凌ぐのにそれほど困る事はなかっ

た。

 …そしてむしろ、俺には嬉しかった。

「おおっと」

「あはは」

 弾丸をポケットから取り損ね、地面に落としてしまった。その時の俺の顔がおかしかったの

だろう、彼女は小さく笑った。

 これでも真面目に『事』を進めているつもりなのだが、よくどじる俺を、彼女はおかしいと

言ってよく笑う。

 とはいえそんな彼女の笑う素顔が、俺はとても好きだった。

 カチャカチャ

 弾を詰めた。彼女はそれを終わるまでずっと笑顔で見つめている。

 久しぶりに笑顔の絶えない彼女を見て、『何かいい事でもあったんだろうか』そんなふうに

俺には思えた。

 いつ敵が侵入してきても対応できるよう、準備は万全にしておいた。

 洞窟の入り口から奥までは、一本道。その一本道の幅は、人間の大人が縦に入って三人分ほ

ど。その道を二分ほど歩くと、この場所に出る。

 子供が十人は軽く走り回ったり、寝についたりする事のできる広さ。周囲の壁はぬめってい

て、アメーバ系の物体がへばり付いているかのようである。

 そして中央には木製のテーブル。はっきり言って汚らしい。小さな虫がうろうろと動いてい

るし、俺にとっては『クズ』、その一言に終わってしまう。

 が、それを除いて考えるのならば、悪い環境ではない。

 テーブルの上にはローソクを置いて、その周りには食料を少々用意した。

 俺と彼女は、これもまた古そうな木製の椅子に座り、テーブルを挟んで向かい合った。

 他には人の気配は無い。

「ところでさ」

「え?」

「からだの方は、なんともない?」

 彼女のことを案じて俺が問うと、なぜか彼女は戸惑った様子を見せ、しばらく間を空けた。

「……え、いや。うん、なんともないけど。……なんで?」

「いや、途中で撃たれたようだったから。本当に大丈夫なのか?」

「……うん、気のせいよ。わたしは大丈夫。それよりも、あなたは大丈夫なの?」

「ああ、俺は大丈夫だよ。……まぁ、逃げてくる時に、横腹の辺、撃たれた感じはしたけど。

けど痛みはないし、気のせいだったようだ。俺のことは心配する必要はないよ」

「……そう。……でもよかった。ちょっと心配してたから」

 そう言うと、彼女は少し安心したようで、再び笑顔になった。

 彼女、ところどころで気になることは幾つかある。

 だが、俺には彼女の笑顔が見れればそれで十分なので、深く追求する事はやめた。

 食事の方を一段落つけて、無意識に彼女の顔を見た。

「?」

 彼女の顔……、気のせいか青ざめている。

 …本当に大丈夫なんだろうか。

 気になりながらも、あえて聞く事は控え、俺は別の話をする事にした。

「分かってるとは思うけど、あと少し行けばラヌウェットに着く。明日にはたどり着けると思

う」

 彼女は黙って聞いていた。

「でも、自分で言うのもなんだけど、よくここまで、ドジな俺が君の護衛をできたと思うよ」

 今まで幾度と、本当に危ない目に遭ってきた。いつ死んでもおかしくない、そう言っても過

言ではないほどに。

「そんな俺でも、明日あたりには任務を果たす事ができ-」

 ガタンッ

「?」

 彼女は途中まで俺の話を静かに聞いていたのだが、

 …正直言って、驚いた。

 突然立ち上がり、俺の話を無理やり遮るようにして、俺の左手を小さな両手で握り、そして

必要以上に顔を近づけてきた。

「ちょっ、ちょっと待って! 何を!?」

 彼女の唐突な動きに、俺は大声を出した。

 そして彼女は、俺の、ある種の期待とも言える予想を遥かに裏切った。

「……え?」

 俺の呟く声の前に、彼女の表情はゆっくりと哀しげなものへと変わっていった。

「うぅ……」

 彼女が、涙した。俺の左手を握ったままのその彼女の姿。俯いて泣き続ける彼女が、俺には

理解できなかった。

 …俺、何かしただろうか。

 その疑問が、俺と彼女の空間に漂っていた。



 ローソクの炎が燃え盛る音。それだけが洞窟内を響かせている。

 どのくらいの時が経ったであろうか。

 はっと気付いた時には、彼女は膝を地面について泣き疲れて、椅子に座っている俺の膝の上

に、顔を伏せたままの状態になっていた。

 …俺は、ただ彼女が落ち着くのを待っていた。

「あのさ、……もしかして、何かあったのか? 言ってくれれば、俺、力になりたいよ」

 一応優しく-心配だったため-俺は彼女に声をかけた。とはいえ、俺にはこういった状況は

苦手であるため、彼女の心を和ませる自信はなかった。

 彼女は、黙って顔を伏せているだけで、何も応えてこなかった。



 そしてしばらくの時とともに、俺の膝は冷たくなっていく。その濡れた膝を見て、俺は彼女

のことが心配でならなかった。

 …そんなにまでも哀しい事があったのか?

 そしてローソクの炎がもう少しで消えそうになった時、

「!?」

 突然、彼女の体が光を帯びた。そして、薄く消え始める。

 …な、なんだ?

「おいっ、どうしたんだ、このからだ?」

 俺は驚きを隠す事ができず、そのままの疑問を彼女に向けて発した。

 そして、不安がる彼女のことを何も考えず、俺は椅子から立ち上がって、つい彼女から離れ

てしまった。

 俺のその行動を見て、彼女はさらに哀しい表情を浮かべた。

「……やっぱり」

「え?」

 小さく、そして震えるような声音で彼女はそう呟いた。

 それは俺に対して言った言葉なのか、それともただ単に意味もなく発した言葉なのか、俺に

は分からなかった。

 とにかく、俺は消えかかる彼女の、まるで夢でも見ているような信じられない光景に絶句し

て、ただ彼女に見入っていた。

 …一体、どうしたというんだ!? 彼女、何かおかしいぞ!

 多少の恐怖と、そして信じられない出来事が混同し、俺は正常な思考ができなくなった。

 その時!

 ズキンッ!

 …うぐっ。

 突然、体のどこかに痛みが走る。その痛みに、俺は声にならない苦悶の声を発した。もがき

ながら、彼女の方を見る。

 彼女を包んでいく光のヴェール。それは次第に激しい光を放つようになり、彼女の顔を覆い

隠していく。

 俺は、見えづらくなった彼女の顔を……、そして涙でいっぱいになった彼女の瞳を見た。

 涙を流しながらも、彼女は俺の目をじっと見つめ返してくる。

 彼女の顔、哀しみを含んだ顔。

「……」

 俺は黙って見ていた。何も言えなかった。

 無表情。そう、自分はそんな表情をしているのだろうと思いながら、彼女の表情の変貌を見

守った。

 光は、強くなっていく。それとともに彼女の姿が……、細い『線』が、消えていく。

 その中で、彼女はゆっくりと、そしてくっきりと口を開いた。

 笑っている。いや、微笑だ。新鮮な表情。そして笑顔だった。それはなんの苦もない美しい

ものであった。

 そしてそれは、俺に向けての最大限の『想い』。…そんな気がした。

 そして最後に、彼女は小さく声にした。

「ごめんね」

 ……と。そして彼女の体は薄くなっていき……。

 俺はその時になって、ようやく体にまとわりついていた縄がほどけたような、そんな感覚を

覚え、消えゆく彼女に向かって叫んだ。

「待ってくれ! 俺には何がなんだか分からないよ!」

 むなしく霧散する俺の声を、自分で聞き取りながら俺は立ち尽くした。

 消えていった彼女。その後を追うように、ローソクの炎の命も絶たれた。

「俺は一体……」

 唐突に消えた彼女。その理由。そして彼女の最後に残した笑顔。それだけが俺の心の中には

残っていた。



 生まれてから、ずっと今まで一緒にいたような気がする。

 彼女のいない孤独感。それが俺をむなしくさせる。

「どうして……」

 そう声にした、その時っ!

 ズキンッ!

「くはぁ!」

 激痛が迸る!

 それは、さきほど感じた痛みと同様のものだった。

 …な、なんなんだ、この痛みは!?

 自問するが、その答えとなる記憶はない。

 考える俺を容赦なく、激痛は襲ってきた。

 ズキンッズキンッ

「うぐぐぅ」

 …彼女の次は、俺なのか。

 よく分からない推測をしながら、俺は耐えきれずに、そして無意識のうちに洞窟の外へと走

っていた。

「ぐあああーっ!!」











 激痛に苛まれた俺の叫び。それとともに、視界は変わっていた。

「ん?」

 …ど、どこだ、ここは? 彼女は?

 小鳥の囀りが、妙に頭に響いた。

 …な、なんだ?

 横になっている俺の上には、何かフワフワしたもの-布団が乗っている。

 外を見ると、枯れ果てた木々がたくさん見えた。見覚えのある風景。

 加えて、その枯れている木々が意味するように、俺の周りの空気は、冷たかった。

 俺は感付いた。

「……つまり」

 一旦、言葉を切らして、俺は呼吸を整える。

 そして、近くにある窓の方を見て、呟いた。

「……ゆ…め……だったんだな」

 結論付けして、俺は『ハァー』と、大きく溜め息をついた。



 妙に現実味のある『夢』だった。

 …そう、夢とは現実ではありえないものなのに、だ。

 今朝みた『夢』。

 そう、『夢』。

 何も知らない俺。

 …全ては、唐突にもそこから始まった。





                       第一章 何か違う…


                                         1


 冬というのは、正直言って嫌な季節だ。寒いし、肌が乾燥してパサパサになってしまう。

 それはそうと、俺はそんな肌寒い冬の中で、『今』を過ごしている。

 俺の部屋は、村に住んでいる仲間達と同じで、四畳半の木製。狭いが、生活をするには十分

な広さではある。

 元々は信じられないくらいに汚く、俺は自分で言うのもなんだが清潔なので、とりあえず村

に来た時に即座に片付けておいた。

 そのせいで、今では何もないが立派な一室だ。ちょっとした自慢でもある。

 その整った部屋を大きく見渡して、俺は大きく息を吸った。



 今朝みた夢……、なんだか慌ただしかった夢、そして現実と混同してしまう程、現実味のあ

った夢。

 その夢のせいか、俺はいやに寝ぼけていた。

「夢……か」

 夢の内容がはっきりと頭の中に記憶として残っていて、俺はそれを脳裏に漂わせながらも、

服を着替えた。

 ちなみに俺は村の寮の一室にいる。部屋から出る時は、必ず作業服を着なければならない。

面倒な規則である。とはいえ破った者への罰は、泣き叫びたくなる程恐ろしいので、いまだに

私服で外に出ている人間を、俺は見たことがない。

「『彼女』……」

 彼女……、一体誰なんだろう。

 夢の中に出てきた、彼女という女性。

 ただ夢の中でみただけだというのに、なぜなのか。それは俺には分からない。が、俺は、夢

の中に出てきた彼女に、異常な執着をしてしまっている事に気付いた。

 …うぅ、眠い。

「あれ?」

 夢と現実がゴチャ混ぜになってしまい、俺はおかしくなっていた。

 服の上と下を間違えて着ていた。まるで子供のような…いや、子供でもしないような間違い

に、俺は妙に恥ずかしくなった。

 …ドジなヤツだ。

 自分でもそう思う。とにかく俺は服の上と下を気直した。

 着替えを終えて、俺は部屋を出る。少し歩くと洗面所があり、俺は毎日そこで洗顔をしてい

た。

 今日もその洗面所で、顔を洗う。

 幾つか蛇口がある中で、古ぼけた蛇口から水を流し、使用する。

 隣に仲間が数人いる事に気付いた。

「よぅ。毎日疲れるよな。寒いしよ」

「まぁね。まったくだ」

 軽く返答をして、一息。持ってきたタオルで顔についた水をふき取り、俺は大きく伸びをし

た。

「よぅし、今日もやるぜ!」

 気合を入れて、俺は寮の外へと向かった。

 -刹那!

 ズキン!

「なっ-」

 いきなり体全体に、雷を落とされたような感じがして、俺は一瞬、動けなくなった!

「この痛みのような感覚は、夢で感じたものと同じ……!」

 唐突に生じた、雷を落とされたような痛み。……それは、今朝みた夢の中で感じたものと、

まるっきり同じであった。

 …夢の、あの時『奴』って男に撃たれたのと、何か関係が……?

 俺は無意識にそういった推測をしていた。

「……まさかな」

 原因がなんにしろ、その痛みは相当のものであった。



 昼までには、食料調達を済まさなければならない。隣町のラヌウェットまでは、けっこうな

距離である。

 …え?

 俺はそこで、ふと疑問が生じるのを感じた。

 …ラヌウェット?

 夢の中で、俺は『彼女』とラヌウェットの話をしていたような気がした。

「……まぁ、そんな事はよくある事だよな」

 夢の中に都市の名前が出たところで、なんら珍しいわけではない。俺はそう思って気にする

のはやめた。

 ラヌウェットシティ。それは相当に大きな都市で、人口も、経済的にもトップクラスの街で

ある。

 ラヌウェット大陸の中でも中心の都市であり、王都ラヌウェットを挟んだ、強大な都市国家

でもある、と、そう聞いている。

 加えて、一般的に『ラヌウェット』と言うと、ラヌウェットシティのことを言うため、王都

よりもこちらの方が、名が知らされていた。

 最大の大陸、ラヌウェット。他大陸からも様々な人種の人々が行き交うこの大陸。そのほと

んどの目的が、ラヌウェットシティ-つまりラヌウェットへの観光、取引などである。

 そんな、いつも活気の溢れた街に、俺は毎日足を運んでいる。

 いつも自分の住んでいる村と比較してしまい、惨めな気分になる事もしばしばあった。

 ……まぁ、今はもう慣れているため、そんな事はどうでもいいとは思っているが。

 とにかく、ラヌウェットから、俺の住んでいる何もない村へと食料の調達をするのが、俺の

毎日の仕事。

 俺の他にも、いろいろと物品を買いに行く人達もいるようではあるが、あまりよく聞かされ

ていない。



 十六歳の冬、この村にやってきた。そして、毎日、村とラヌウェットを行き来してきた。

 ……あれからもう一年になる。



 男子寮を出て、職務管理館まで行き、先輩方に挨拶をする。

 そして、俺は車庫まで行き、毎日乗っているトラックに乗った。

 一年この仕事をしてきたとはいえ、まだまだ下っ端の俺にとっては、食糧調達という単純で

はあるが重要でもある仕事を、かなり誇り高く思っている。

 ちなみに俺の乗るトラックは、村一番怖いと噂されるシモンさんからの借り物である。

 俺はキーをポケットから取り出し、

 ブルルー

 エンジンを掛けた。ゆっくりと進む。

 車庫から出て、村の中央広場まで進み、その辺りからだんだんと速度を上げていくんだ。

 が、村の門辺りまで行くと、そうは行かなくなる。

 広場を抜けて、門のそばまでトラックを走らせる。

 -この辺りだ。いつもいつもしつこくやってくるのは-

「ぼっけろーん!」

 …やっぱり。

 俺は嘆息して、ブレーキを踏んだ。エンジンを切って、ドアの窓を開けた。

 サイドミラーを覗くと、遥か後ろの方から人が走ってくるのが分かる。

 そしてその人影は、俺の座っている運転席の方まで来ると、窓から顔を覗かせた。

「ゴメーン。今日も遅れちゃった」

 そう言われて、俺は溜め息をついた。

 …べつに待ってたわけじゃないんだが。

 俺の仕事の邪魔をしているのにも気に掛けず、助手席の方へとまわっていった。

「今日もよろしくね、ぼけろん 」

「……はい」



 その人は-そう、女だ。

 年齢は、……確か俺より一歳年上と言っていたから、今、十八歳のはずである。

 一つ年上だから、…ようするに先輩だからといって、私用までは言うことを聞くつもりはな

いのだが、何かこう、言い表せないものがあり、俺はいつも従わざるをえなくなってしまう。

 そういう事もあって、俺にはいつも命令ばかりだ。が、唯一感心できる事があり、それは村

の子供たちに対する態度である。

 子供の面倒はよくみてくれていて、時々、俺にもそういった接し方をしてくれないかと、思

うこともある。

 セミロングの黒髪、やや茶色掛かっいるその髪に、俺は不思議といつも目を引き付けられて

いた。

 その髪は多少乱れており、おそらく整髪、洗顔を省いて女子寮から出てきたのだろう。

 女性の最も肝心な-と俺は思っているのだが-身だしなみを諦めてまで、俺の仕事に付き合

うのには、何かわけがあるんだと俺は思っているんだが、何もたくらんでいる様子はなく、俺

はいつも不思議に思っていた。

 その人のことを、俺はいつも『先輩』と呼んでいる。

 その他にも多くの先輩方がいるんだが、俺にとって、本当の意味で『先輩』と呼べるのは、

おそらく彼女だけだと思っている。

 ……というのは、この村に来た当時、不安だらけの俺にとっては先輩がとても心強かったか

らだ。

 いろいろと俺のために時間を作ってくれたし、世話もたくさんやいてくれた。

 けどそんな先輩、……今は変わってしまったような気がする。

 ……というより、一年前、この村に来た時の先輩は、偽りの人だったのかもしれないが、と

にかくそんなふうに俺は思っている。

 先輩、最近は特に俺のところにやってくるんだ。…いや、べつにそれはそれでいいんだが、

何か納得のいかない事があると、すぐに俺を殴るし、何か嫌な事をたくらんでいるような、そ

んな気がする。

 それゆえ、最近の俺は、いつも先輩のことを警戒している。

「ねぇ、ぼけろん」

 助手席に座っている先輩が、俺を呼んだ。

 そう、どうでもいい事だが、俺は先輩に『ぼけろん』と呼ばれている。もちろんあだ名だが、
由来は、おそらく俺が『ドジ』だからであろう先輩はその事を話してくれないが、俺にはなん

となく分かっている。

 ……そういえば、村に来た初日からそう呼ばれていたような気がする。

「こら、ぼけろん! いつまでボケッとしてんのよ!? 急がないと遅れるぞ!」

「いで! すみません!」

 顔をひっぱたかれ、俺はエンジンを掛けた。



 「この道が最っ高に気持ちいいんだよね! 今日も飛ばしてよ!」

「はい」

 村の門を出ると、いきなり一本道。それがとてつもなく長い。その一本道を抜けると、ラヌ

ウェットに着くんだ。

 時速二百キロ位出しても、ラヌウェットまでは軽く三時間はかかってしまう。いつもは時速

二百七十キロ位出すが、先輩はそれじゃつまらないと言う。

 とにかくラヌウェットまでは相当な距離なのである。そのため、俺は朝、かなり早く起きて

いる。…いや、起きなければならない。

 それが今は、ちょっとした自慢になっている。一年間もこの仕事をしてきたため、朝、俺は

目覚ましなどなくても自然に起きれるまで成長した。そして、朝起きる早さも自慢になってい

る。

 まあそれはそれとして、シモンさんのトラックだが、時速四百キロまで出す事が可能だ。

 高速の中、靡かされる先輩の髪は、いつものことだが俺を魅惑する。そしてそれは、俺が前

方を見ようとするのを妨害するような感じさえする。

「でもさぁ、毎日気持ちいい…とはいっても、長時間これじゃあ、疲れるでしょ?」

「ええ、まぁそうですけど。けどもう慣れてますからね、どうってことないです」

「慣れる…かぁ。そういうもんかな」

 先輩はドアの窓を開け、窓とドアの淵の部分に肘を乗せた。同時に運転席に座っている俺の

方にも風が強烈に入ってくる。

 その風が、先輩は特に好きなようで、俺は正直に困っている。風が、俺の呼吸を著しく途絶

えさせる。

「じゃあ、またあたし、寝るから。着いたら起こしてね」

「あ、はい。分かりました。けど窓は閉めておいてくださいよ」

「ダメ」

 そのまま先輩はゆっくりと瞳を閉じた。

 俺の早い朝に無理して合わせているため、トラックの中、走行中眠るのが先輩の日課となっ

ていた。

 俺は横目で先輩の様子を見ながら、……減速した。



 ブォォーン!

「今日は遅かったですね」

 車庫入れの時、俺にとってたったひとりの後輩(食料関係の作業員で、俺より年下は彼しか

いないので)が走ってきて、運転席の窓の外に顔を出した。

「ああ、ちょっと詰まっちゃってな」

 今日はトラックの中に食料を詰める時間が、いろいろと掛かってしまい、手間をとった。

 後輩は俺がエンジンを切るのと同時に、トラックの後ろへとまわった。そのまま食料を運び

出す。

 俺はその後輩の様子を見て、一息ついた。

「先輩、着きましたよ」

「……」

 助手席で眠っている先輩の肩を揺さぶった。

 激しい揺らしに、先輩は唸り声を上げて目を覚ました。ゆっくりとこちらを向く。

「……着いたの?」

「はい」

 目を擦って、先輩はトラックから降りた。俺も合わせてドアを開けた。

「って、ここ、村じゃない!? またあんた、ラヌウェットで起こさなかったな!?」

「え、まぁ……ね。けどいいじゃないですか。向こう行ったって、べつに何かすることがある

わけじゃないんだし」

「でもダメ! 明日は絶対に起こしてよ!」

「はい、分かりました!」

 俺は、先輩がまた『明日』と言って、内心ほっとした。

 ラヌウェットに着いても、俺は大抵先輩を起こさない。……いや、大抵どころか毎日起こさ

ない。

 それには、べつに理由があるわけではないのだが、そして、向こうに着いて先輩を起こして

もいいんだが、寝起きの先輩は異様に機嫌が悪く、そして、よく大声で叫ぶのだ。

 そのため、俺はラヌウェットで恥をかきたくないし、即興で仕事を終えたいため、先輩を起

こさないでいる。

 先輩は一度眠ると、まず、起こすか、もしくは十時間経つか、しないと目を覚まさないため、
俺が起こさなければラヌウェットで目を覚まして発狂する事はない。

 そこで、俺はいつも先輩に疑問を覚えていた。十時間、そう十時間なんだ。そうすると、朝

は目覚ましを鳴らすか、もしくは誰かに起こさなければ、起きる事はできない。

 だが、先輩が目覚ましで起きるような人だとは思えない。とするのなら、誰かに起こしても

らっているはずだ。

 だが、起こしてくれる人などいるのだろうか、こんなに早い時間なのに。

 そして、起こされないとするのならば、眠る時刻がすごく気になる。思いっきり早寝という

ことになる。

「……いや、俺には関係のないことだな」

 そうなんだ。全くどうでもいいことなのである。

 気分を切り替えて、俺はトラックの後ろへとまわった。

 そんなわけで、俺と後輩は調理場へと食料を運んだ。

 俺がやっている仕事、…『運送業』とでも言うのであろうか。実は、実際に仕事に手をつけ

ているのは、俺と後輩の二人しかいないのである。正直に言って、相当きつい。

 他にも働ける人は多くいるというのに、俺たちだけという状況に、俺は一時期頭にきたこと

があったが、とにかく平穏な生活のため、仕方なく我慢している。

 そして、最近この仕事にやりがいがあるような気もしてきた。先輩も毎日『ごくろうさま』

と言ってくれるし。

 そんな仕事だが、今日は調理場に運ぶ時刻を少し遅らせてしまった。



 「次からは気を付けろ」

「はい。すみませんでした」

 調理場に食料を運び終え、仕事を終えた俺は、職務管理館へと戻った。

 管理長に注意されたが、以外に軽くおさまった。職場の先輩方は、本当は普段から相当に厳

しく、もっと言われるはずだったのだが、以外な対応に俺は安堵していた。



 食堂は村に三つ、散って建てられている。村民各々がこの村に来てから、もしくはこの村で

生まれてから、どの食堂を利用するか、すぐに決定される。

 ひとつの食堂が、かなりの大きさで、食堂ひとつでも村民全員を収容でき、余りが出るほど

の広さだ。ちなみに俺が利用しているのは、その中でも最も小さな食堂である。

 そんな食料関係の仕事をしている俺だが、仕事はそれしかなく、朝は本当に忙しいが、昼か

ら夕食までの間、する事がないのだ。

 仕事が大変ではあるが、一日全体で考えてみると、意外にも暇なのである。仕事を始めてか

ら、当初の頃は忙しかったため、ここ三カ月ほど安定した生活になって、ようやくそのことに

気付いた。

 …普段は何をしていただろうか。

 昼食を終えた俺にとっては、この問題はかなり重要なことである。

 …暇だよな。

 普段、あまり意識して行動していないせいか、いつも何をしていたか覚えていない。

 ……結局、何もすることがないので、俺は部屋に戻ることにした。

 食堂は別館として成り立っている。そのため、俺が毎日生活をしている男子寮までは、少し

だけ歩く。

「……はぁ」

 意味もなく溜め息をついて、俺は寮の中へと入った。213号室-俺の部屋だ-に向かう。

 決して広くはない。そして、特別なものが設置されているわけではない。

 ……そんな何もない部屋でも、個室をもらった時は、とても嬉しかったのだ。

 村に来るまでの想像としては、仮に部屋を提供されたとしても、村の『部屋』なんて、何人

かの共同部屋なんだろう、そんなふうに思っていたため、尚更であった。

 ガチャッ

 俺はいつものように何も意識することなく、部屋の鍵を開けて、中へと入った。

 物を置くのを好まない俺は、部屋には必要なものだけしか置いていない。趣味とか、飾り物

なんてのは、もってのほかである。

 …なんかないかな。

 そのため退屈なことこの上ないが、好きでやっているため、べつに依存があるわけではない。
 俺は、部屋の隅-窓側の壁に寄り添うように座った。そのまま、窓の外の景色を見やる。

 二階にしては……いや、二階だからこそかもしれないが、この窓から見える景色は格別に良

く、特に俺の部屋から見える海の景色は、とても綺麗だ。

 この何もない時間、そして静寂に満ちた、誰にも邪魔をされない時間、……ようするに暇な

だけなんだが、この部屋で考えてみると、それがまたなかなかいいのだ。

 何がいいのか、それは答えるような問題ではなく、感覚的にそう思える。

 窓を開けると、外からは爽やかな風が舞い込んでくる。

 そして、青い海、青い『絵』が、俺の視界を覆う。

「……青い……か」

 ……青い。そう、青い。

 そこで、俺は唐突に思い出した。

 今朝みた夢。その夢の中で起こった痛み、そして夢が覚めてから起こった痛み。

 今はもう痛みは感じないが、何か引っ掛かるものを、俺は無意識に感じていた。

 ……あの痛みは、気のせいなのかな。

 そして俺は、同時に夢に出てきた『彼女』のことを考えていた。

「彼女……」

 そしてそのまま、意識が薄れていくのを感じた。





 何か聞こえる。

「おーい!」

 ……。

「おーい!! 聞こえてんの!?」

 ……ん?

「そこの青年!」

 やたらと煩い声が聞こえてくる。俺は何かと思い、目をゆっくりと開いた。

 そして周囲を見渡してみると、部屋の扉が開いており、そこから外に人が立っているのが分

かる。

「ん、誰だ?」

 寝ぼけていて、俺はそう口にした。

 『人』は怒ったように目を吊り上げた。

「誰って何よ。君にとって頼りになりまくりの『先輩』に、決まってるでしょーが!」

「あ、先輩」

 ……あ、ほんとだ。

 顔をよく見て、俺はその人が先輩だと分かると、大きな欠伸をして立ち上がった。

 何の用事かと思いながら、こちらを見下すように見ている先輩のそばまで寄る。

「あれ、先輩。何か用ですか?」

「その前にシャキッとして」

 俺のたらたらした様子を見て、先輩はそう言った。とりあえずそれに従いながら、俺は先輩

の目を見た。……気のせいか、怪しい色をしている。

「で、何か用ですか?」

「もう。『何か用ですか?』って言い方はないでしょ。暇だから、遊びに来ただけ」

「あぁ、そうですか」

 先輩は気のせいか、少々怒り気味。それはおそらく、俺の寝ぼけている様子が気にくわない

からであろう。

 先輩の目を見て、俺ははっきりと目を覚ました。

 とにかく立ち話もなんなので、俺は先輩を部屋に入るよう促し、自分も奥へと戻った。さっ

きまで座っていた場所に、俺は再び座った。

「ったく、つまんないヤツだな。君は」

 俺の横に腰を下ろして、先輩は半眼で言ってきた。

「あの先輩、ドア、開きっぱなしなんですけど」

 俺は先輩が開けたままの扉を見て、そう言った。

「あ、ほんとだ。閉めてきて」

「閉めてきてって、開けてきたのは先輩じゃないですか」

「いいから閉めなさい」

「はい」

 先輩の表情が変わらぬうちに、俺は自分で閉める事を決意した。

 立ち上がって扉まで行き、

 ガチャッ

 扉を閉めた。

 俺は座っている先輩の前まで戻り、上から先輩を見下ろした。

「俺のところ来たって、何もないですよ」

「いーの、どーせすることないんだし」

「そうですか? ならいいんですけどね」

「話は変わるけどさ、何かおもしろいこと、ない?」

「話、変わってませんよ。だからないって言ってるでしょ」

「じゃあ、トークでいいからさ。ほんっと、暇なんだ、今。ってゆーか、いつも暇なんだけど」
 そう言って先輩は立ち上がり、まだ立っている俺の両肩に手を置くと、パンパンと叩いた。

「まぁまぁ、座ってよ」

 身長的には俺の方が高いのだが、先輩には不思議な威圧感のようなものがあり、俺には先輩

がとてつもなく大きく見えてしまう。

 そんなわけで、俺と先輩は窓側に背を向けて、壁に寄り掛かり、くだらない話をしばらくし

ていた。

 とは言っても、毎日顔を合わせているため、たいした話題なんかはない。



 先輩はムッとしたような表情をつくった。

「あのさぁ、さっきからあたしばっか喋ってんじゃん。あんたも少しは話してよ」

 話始めてから、俺がずっと聞き手にまわっていることに、先輩は苛立ちを感じているようだ。
 俺は先輩に、さきほど言った事を強調するように言った。

「先輩、だから言ったでしょう。つまんないって」

「まぁそう言わないでよね。あんたの話が聞きたいの。なんでもいいから話してよ」

 先輩は取り繕って言った。

 先輩はなんの話に興味があるのか、一年間付き合っている俺でも、あまりよく知らない。

 そのためしばらくの間、俺はどういった話をするのか、頭の中で考えていると、

 ……そうだ。

 ふと、今朝みた夢のことを思い出した。

「じゃあですね」

「うん」

「どうでもいいことなのかもしれない、っていうか、どうでもいいことなんですけど」

「うんうん」

 先輩は異様な興味を持ったようで、顔を近づけてきた。

 大抵こういう時、俺がおかしなことを言うと、先輩に殴られることは見えに見えている。

 そんなくだらない事でも怒る先輩に俺は疲れているのだが、とにかく従うのであった。

「今朝みた夢のことなんですけど、いいですか?」

「ゆ……め?」

「ええ、そうです」

「なにそれ。おもしろい?」

「いや、それはどうか分かりませんけど。……やっぱりやめておきます」

「あ、いいから。とにかく言ってみてよ。暇だから」

 先輩にそう言われて、俺は夢を回想しながら、口を開いた。

「えーとですね、その夢は、途中から始まったんですよ」

「へ?」

 ……え?

 俺は自分で言っておいて、そして先輩に聞き返されて、ふと、変……ではないんだが、そし

ておかしな事でもないんだが、……ちょっとした、どうでもいいことかもしれないことに気付

いた。

 夢……、それは、俺が『彼女』という少女とともに何かの建物にいて、『奴』という男から

逃げることから始まった。……が、

 …あの夢は、あの場面から始まったんだろうか。

 それは、本当にどうでもいいことだ。単なる夢なんだし。

 ……だが、俺には不思議とそのどうでもいいことが、なぜか妙に気になっていた。

「ぼけろん、どうしたの?」

「え?」

 俯いていた俺の顔をのぞき込むように、先輩はそう言ってきた。

「いや、大丈夫です」

 つい俺は夢のことが気になって、外界からの話声が聞こえなくなっていた。

 とにかくその夢が、途中からだとしてもそうでないにしても、先輩に夢の話をすることには

変わりはないのだから、気にする必要はないだろう。

 俺はとりあえず覚えている限りのことを話す事にした。

「で、とにかく、その夢の中では、俺は-」

 その時だった!

 ズキンッ!

「ぐあぁ!」

「え!? どうしたの?」

 突然激しい痛みが俺の全身に降りかかってきた。

 今朝、起きてからの痛みと同様のもの。雷が落ちたような、そんな痛み。

 ズキンッ!

「うああ!」

「ちょっと、ぼけろん。大丈夫!?」

 先輩の声が妙に遠くに聞こえる。激痛は絶えず俺を襲う。

 …どうしたんだ、俺のからだ!?

 理由が分からない……いや、そんな事はどうでもいい。とにかく痛みに何も考えられない。

「ぼけろん!」

「うぉあ」

 自分が絶叫しているのは、なんとなく意識で分かっていたが、その後、いつ意識を失ったか

は、俺には分からなかった。


                                         2


 気が付いたのは、いつだったであろうか。

 そんなどうでもいい、そして素朴ともいえる疑問を、俺は考えていた。

 とにかく、全てがあやふやなものとして、俺にはとらえられた。

 ひとつ理解できること。それは、白いベッドの上で俺は眠っていたということだ。

「えーと……」

 何も思い出せず、俺はそう声に出してみた。

 痛みが襲ってきてから、俺の記憶はまるっきり途絶えている。どうしてこんな見覚えのない

ところにいるのか、それが疑問だった。

「あ、気付いた?」

「え?」

 突然そばから聞こえた声に、俺は多少身を震わせた。

 今、気付いたんだが、俺の眠っているベッドのそばに置いてある丸椅子に、先輩は座ってい

た。おそらくこの状況からして、先輩は俺のことをみていたくれたのだろう。

 こちらを見ながら、先輩は微笑した。

「からだ、大丈夫?」

「あ、はい。なんとか。けど、ここはどこなんですか?」

「さぁてどこでしょう?」

 奇妙な笑みを残して先輩はそう言った。俺はそれを軽くみて、今まで見たことのない部屋を

見渡した。

 ……医務室?

 『医務室』という場所が、この村にあるのかどうかは定かではないが、雰囲気と、置いてあ

る薬品などで、俺はそう判断した。

「まぁ、医務室ってとこかな」

「そうですか」

 先輩の答えに、俺の予想は的中した事を理解した。

「けどまぁ、今はそんな事はどうでもいいよね。先生に診てもらったんだけどね、なんともな

いらしくて、しばらく寝てれば回復するって」

「……はあ」

「でもさ、本当に大丈夫なのかなって、思ってたんだ。だってあんた、死にそうな声で叫びま

くってたんだよ」

「あ、すみません。心配かけて」

「いやいや、いいけどさ」

 痛みについて、おそらく先生の判断は間違っているような、そんな気はしたが、ともかく大

体のことは分かった。

 俺は横にしていた体を起こして、ベッドの上に座った。

「あの、それでここへは誰が運んでくれたんですか?」

「もち、あたし。嫌だった?」

「いえ、そんなことは決して。ありがとうです。けど、ひとりで?」

「まぁね。すごい?」

「ええ」

 先輩の話は、本当にすごいと、俺には思えた。

 ここは医務室……らしいが、そして、俺はここへは来たことがないが、おそらく俺の部屋が

ある寮とは、別館のはずである。

 となると、男子寮から一番近い建物にこの医務室があるとしても、距離が百メートルはある。
その距離を、先輩はひとりで俺を運んだのだ。女性の力を馬鹿にするわけではないが、先輩は

外見は力があるようには見えないのもあって、俺にはその事が正直に信じられなかった。

 先輩は俺の驚いた顔を見ると、少し照れながら鼻を擦っていたが、しばらく経つと、やや真

剣な表情で息を吸った。

「ぼけろんのからだ、さっきも言ったけど、先生は大丈夫だって言ってた。でもさ、どうした

の? 夢がどうとか、って言った後に突然苦しみ出すんだもん。普通じゃないでしょ。……も

しかして、フザけて?」

「まさか。死ぬほど苦しかったんですから」

「どんなふうに?」

「うーん。ただ、……いや、言っても分からないでしょうけどね」

「何それ。あたしには話したくないってコト?」

「いや、そうじゃ……」

 俺はそこまで言って、しつこく迫る先輩から避けるように、完全に起き上がってベッドから

降りた。

 ごまかすように大きく伸びをし、ベッドのすぐ下に置いてあるスリッパを履く。

「けど、俺はもう大丈夫ですから。心配しないでください」

「ほんとに?」

「はい」

「そ、ならいいけどね」

 最後に先輩は素っ気なく言うと、安堵したように溜め息をもらした。

 先輩の心配してくれる様子が、珍しい光景なせいか、なんとなく嬉しかった。

「あ、この薬飲んでおいて。先生から」

「はい。分かりました」

 先輩から手渡しで錠剤をもらうと、俺は部屋の隅の方にある水道口まで行き、

 ジャー

 水を小さなグラスの中に汲んで、錠剤三錠を一気に飲み下した。

「わお」

 その早さに驚いたのか、先輩は感嘆の声を上げ、俺の手からグラスを取った。



 「そういえば、他のみんなは? 誰もいませんけど」

 この時間帯で仕事が入っているのは、ほんの一部の人達だけのはずなので、俺は誰にも会わ

ないことに不審なものを感じた。

 男子寮までの距離は、やはり相当なものだった。むろんひとりで歩く距離としてはたいした

ことはないのだが、先輩が俺を運んだと考えると、やはり驚いてしまう。

 そして、先輩は見かけによらず、力があることになる。

 俺たちは、男子寮まで戻ってきた。二階の俺の部屋に戻ることのできる唯一の階段、そこで

俺は人の気配を感じないことに気付いたんだ。

 普段は、何人かは必ず見かけるというのに、誰も見かけない。

「おかしいな。……もしかして、俺が眠っている間に、何かあったとか?」

 自分で、そうは思ってもいない事を、俺は無意識に口にしていた。

 ……が、何気ないその言葉に、先輩は深刻な表情になって、しばらく俯いてしまった。

「え? ……先輩、ほんとに何かあったんですか?」

 再び、俺があまり本気にしていない声でそう言うと、先輩はコクッと一回頷いて、俯いてい

た顔を上げた。

「まさにその通り」

「え?」

 そう言って、平然としている俺の顔を暗い表情で見やり、口を開く。

「ぼけろんが寝てる間に、村長が死んだ」

「!? そんなまさか」

「ううん、ほんとだよ。信じられないなら、他の村の人にも聞いてみてよ」

「そんな……」

 俺は絶句した。先輩の話が一瞬信じられなかったが、おそらく本当であろう、先輩の声音に

はそういったものが感じられた。

 ……俺が寝ている時に、そんなことがあったなんて。

 本当のことであろうと、俺はその事実を否定したかった。

 …まさか、そんな……。

 俺は、ただただ口を紡ぐしかなかった。

 村長。……彼は本当に素晴らしい人だったんだ。

 一年前、俺が村にやってきた時、出迎えてくれたのが、村長と先輩。

 村長はいつも俺に親切にしてくれたし、本当の意味で優しかった。上辺だけではなく、そう

……本当の意味で。

 笑顔がいつも絶えずに、誰にでも明るくふるまってくれる、そして村で一番の長寿。

 俺はそんな村長が好きだった。それはむろん、俺だけではないだろう、先輩もよく村長のい

い話をしていたし。

 その村長が死んでしまうなんて、俺には信じがたい、そして信じたくない出来事だ。

「でもなぜです? もしかして、例の病気ですか?」

「……うん、あたしもよく分かんないんだけど、寿命だってさ」

「そうですか。……残念だ」

 村長は持病を抱えていたが、寿命で死んだとなると、それはそれで村長にとっても、幸せだ

ったのかもしれない。

「じゃあ、みんなは?」

「告別式」

「え? いきなり告別式ですか? 早いですね」

 …当日に告別式をやるのか? 

 ……そう思いながら、俺はしばらく考えてみた。

 村長の告別式。そのせいで男子寮内には、人が誰もいなかったのだ。そう言えば外にもいな

かった気がする。

 そこで、俺はふと思った。

 告別式。村のみんなはここにはもういない。俺と先輩だけが、男子寮の中にいる。

 そこで、俺はふともう一度考えた。

「ちょっと待ってくださいよ、先輩! だったら、早く俺たちもいかなきゃ!」

 そう、みんなが参列しているだろうと言うのに、俺たちだけがこんな所にいていいのか、そ

う思って、俺は大声を出した。

 この村はそういった『儀礼』を、大切にしているため、参列しないとまずい。そして、村長

の告別式なのだ。俺は自分の意思から行きたかった。

 俺は昇りきっていない階段の途中で後ろを振り返り、勢いよく降りようとした。

「先輩、行きましょう!」

 階段を一段降りて-

 ガシッ

「え?」

 走って行こうとした俺の腕を、先輩は必死の形相で掴んだ。

 そして立ち止まった俺に、先輩は大声を出す。

「行っちゃダメ! あんたはまだ安静にしてないと危ないでしょ!」

「何言ってんですか先輩! 俺はもう大丈夫ですから、早く行きましょうよ!」

「………?」

 俺の促す声を聞き入れず、先輩は半眼になった。

 俺が何か言うことを聞かないと、いつもやってくる、あの『半眼』だ。それでも先輩の言う

ことを聞かないと、俺はのちに顔が変形することを意味する。

 先輩が、なぜそこまで俺の体を気遣って止めようとするのかを考えながら、俺はやむなく行

くのを諦めた。

「分かりましたよ、先輩。俺はもういいですよ」

「ならよろしい」

「けど、先輩は行ってくださいよ。先輩は行っちゃいけない理由なんてないんですから」

「あたしはいいの。もう遅いし」

 そこまで聞いて、俺は複雑になった。遅くなったのは、俺の看病をしていたからであろう。

ならばすぐ行ってくれれば間に合っていたはずだ。

「先輩、遅いっていうのは、俺の看病をしていたからでしょう。ならそんなことより、そっち

の方に行ってくれればよかったのに」

「うるさいな! もういいって言ってんでしょ!」

 ビクッ

 俺は、突然怒ったように叫んだ先輩に、身を震わせた。

「あんたが、ひとりじゃ心細いと思ってそうしたのに。……なんだ、じゃあいなかった方がよ

かったんだ」

 俺は先輩の言いたい事がよく分からず、ただまともな応えを返す事を考えた。

「……いや、いてくれてうれしかったです」

 式は、おそらく村の外れの方でやるのだろう。ここからは相当な距離である。

 そのことを考えて、先輩は俺の体を気遣ってくれているのだろうが、俺は先輩には行ってほ

しかった。

 ……先輩は、何を考えているんだろう。

 そう思いながら、俺はもう一度だけ、先輩に念を押すように口にした。

「先輩だって、村長にはすごく世話になってたみたいじゃないですか。本当に行かなくていい

んですか?」

 先輩は悲しそうな表情で、ただ黙っているだけだった。



 先輩が俺を式へ行かせないので、仕方なく部屋に戻る事にした。

 部屋の中に入って、俺はベッドの上に腰を掛けた。その様子を部屋の入り口の所で立って見

ている先輩が、安堵したように溜め息をもらした。

「じゃあ、あたし、もう戻るから。少なくとも今日は、からだ、安静にね」

「あ、はい。すみません、いろいろと」

 その声を聞くと、先輩は苦笑して扉を閉めようとした。

「あの!」

「ん?」

 俺はとっさに叫んで先輩を呼び止める。

「あの、俺、どのくらい眠っていました?」

「ああ、えーとね、四時間くらいかな」

「その間、ずっと俺のことみててくれたんですか?」

「まあね。少しは感謝してよ」

 先輩の顔が、気のせいか赤く染まったように見えた。

「ありがとうございました」

「へへ、じゃあね」

「また」

 ガチャ

 最後に先輩は微笑を残して、扉を閉めた。

「四時間か」

 無意識にそう呟いて、俺はその四時間という時の長さを、村長が死んだことによって長く感

じ、そしてその間ずっとみていてくれた先輩に、深々と感謝した。



 日が沈み始める……。その様子を繊細に描く……というより、それをそのまま表しているの

が、当たり前だが夜空になりかけている空と、村人たちである。

 俺は部屋の中からひとり、窓の外を覗いていた。告別式から戻ってきた村人たちの大半が、

食堂へ向かっているのが分かる。

 その様子を見ながら、俺は少し疑問を頭の中に残していた。

 突然起きた『痛み』。

 ……一体あれは、なんなんだろうか。医者の先生は大丈夫だと言っていたようだが、俺には

とてもそうは思えない。

 そしてあの痛みは、直感的に今朝みた夢と、関連しているような、そんな気がしていた。

 まあ、一番いいのは、やっぱり先生が言っていたようになんでもないことなんだが、俺には

気になって仕方がなかった。

「あの痛み、また起きそうな気がするな」

 『はああ』と溜め息をついて、とりあえず今はそのことは考えないことにした。

 考えごとをしているうちに、結構な時間が経ってしまっていたようだ。

 それもあって、俺は食堂へ向かうことにした。



 食堂の雰囲気、それは中に入ってから極端に沈んでいるのが分かった。

「……」

 食堂に夕食を食べに来ている人達みんなが、暗い表情をしている。俺はその中で、気まずく

なっていた。

 それだけ、いかに村長が『村長』としてだけではなく、人間的に信頼されていたかが分かる。
 俺は村長の死が痛々しかった。

 ところで食堂に来て、一番最初に思うことはこれだ。

 ……俺に丸椅子は合わない。

 食堂には多数の椅子が用意されてはいるが、どれもが丸椅子である。俺はその座り心地があ

まり好きではない。べつに普通の椅子とたいして変わるわけではないのだが、気分的に。

 六人一組の木製のテーブル。が、人数のわりには、これがなかなか広い。あと五人は食事を

食べれそうな感じである。

 対称に、三人三人で囲むように座るよう椅子が並んである。

 俺は反対側に男三人がいるテーブルに、夕食のセットを持ってきた。

 こちら側には、俺ひとり……いや、

「あ、もう大丈夫なの?」

 先輩がやってきた。茶碗をひとつ乗せたお盆を片手に、明るく笑顔をキープして俺の隣に座

った。

 先輩が座るのを見て、俺は飲もうとしていたコーヒーの入ったカップを置いた。

「ええ、もう大丈夫です」

「そ、よかった」

 安心したような微笑みを浮かべて、先輩は茶碗を持った。

「お茶ですか?」

「そう」

 先輩のお盆の上には茶碗しか乗っておらず、俺は『飯は食べないのかな』と思ったんだが、

それはあえて聞くのをやめ、持ってきていたサラダをゆっくりと腹の中へ入れた。

「それより先輩」

「なに?」

 口に中に入っている野菜を全部飲み干して、俺は苦笑した。

「先輩、食堂来る前、何か言われませんでしたか? 俺なんか、ここに来る時シモンさんに捕

まって、いろいろと言われたんですよ。もう散々でした。医務室で寝てた、って言っても全然

聞いてくれないし」

「ああ、あたしも言われたよ。シモンさんじゃないけどね。けど気にしてないよ。ぼけろんの

からだの方が心配だったし」

「え? それって、どういう意味ですか?」

「もちろん、ぼけろんが病気にかかっちゃったりしたら、これからあたしの自由に使えなくな

っちゃうでしょ」

「やっぱり……」

 俺は、『先輩はもしかしたら本心で心配してくれていたのかも』と思っていた事が瞬時に消

え去るのを感じた。

 それはそうと、村長が死んでしまって間もないというのに、どうして先輩はこんなに笑顔で

いられるんだろうか。

 ……いや、それは俺も同じなのかもしれないが、俺は先輩の能天気さが羨ましかった。もち

ろんそれは外面だけの事なのかもしれない。それでも先輩はよく笑っていらっしゃる。

 俺は、隣で微笑みまくっている先輩の目を見て、そう思った。

「ところでさ、聞くの忘れてたんだけどさぁ……」

「なんですか?」

 先輩は体ごとこちらに向けて、多少真剣になって言った。

「さっきもさ、一応聞いたことは聞いたんだけどさ。どういう痛みだったの?」

 俺はそれを聞いて、少しの間、黙っていた。

「そのことですか。……だから俺は大丈夫だから、気にしなくていいって-」

「ダメ! 教えなさい! 気になるんだよぉ!」

「うわぁ!?」

 俺の、あくまで教えない姿勢に先輩は腹を立てたようで、いきなり掴みかかってきた。

 首を強烈に、……その言葉通り、下手をしたら本当に死んでしまうくらいの力で先輩は掴ん

できた。

「だああ! 先輩、マジで死にますって!」

「言う?」

「はい!」

 大声で返事をすると、先輩はようやくやめてくれた。なんとか自由を取り戻した首を摩って、
俺は大きく息を吸った。

「先輩、危ないですよ。本当に殺すつもりだったでしょ?」

「うん」

「え?」

 その時の、先輩の奇妙に笑っている、そして恐ろしい複雑な表情が、いつまでも忘れられな

い俺の想い出となるのは、また別の話である。

 とにかく先輩が知りたがるので、そしてよくよく考えてみて、教えたところでどうにもなら

ないので、俺は簡単に話すことにした。

「ズキンッ、ってくるんですよ。体全体に……こう、雷を落とされたような感じで」

「……よく分かんないけどさ。……その前にぼけろんって、雷落とされたこと、あるんだ」

「いや、『たとえ』に決まってるじゃないですか。ま、とにかくそれがどんどん響いていって、
意識がなくなっていくんですよ」

「ふーん」

「まぁ、分からないでしょうけどね。とにかく今は大丈夫なんで、気にしないでください」

 俺の話は、分かりにくかったのかもしれないが、先輩は分かったような分かっていないよう

な、そんな複雑な表情だった。

 ……けど、本当になんだったんだろうか、あの痛み。なんでなんだろう。

 俺が思うには、夢のことを考えようとすると、決まってあの痛みが襲ってくるような、そん

な気はするんのだが-そのせいで、現に俺は、無意識に夢のことを考えないようにしているの

かもしれない-、とにかくよく分からない。

「じゃあ、今は大丈夫なの?」

 先輩はしつこく俺に痛みのことを聞いてきた。

 俺は、なるべく先輩に痛みのことを話したくはなかったのだ。なんだか、また痛みが襲って

きそうな気がするので。

「今は、全然大丈夫です」

「そっか。ならいいや」

 素っ気なく言う先輩には、痛みを気にしてほしくはないにしても、俺は嬉しくない。

「冷たいんですね」

「そーいうつもりじゃないんだけどね。まぁ、またいざっ! って時にはあたしが付き添って

あげるから、安心して」

「……なんか怖い」

「あっそ」

 俺は先輩のその言葉が、内心ではとても嬉しかった。義理でもなんでもいい。ただそばにい

てあげる、と言ってくれたのが何よりも嬉しい。

 なんなんだろうか。先輩はいつも恐怖の存在でしかないのに、俺の心は不思議と安心できて、
そして自分までもが明るくなれるような、そんな気持ちが今更になって少しだけ感じられた。

 少なくとも、退屈はしない。

 そんな俺を見て、先輩は思い出したように丸く口を開いた。

「そーだ! ぼけろん、あの時さ、倒れる前、なんか話そうとしてたよね。夢だっけ。あれ、

教えてよ」

「? ああ。今度は、あの夢のことですか」

「そうそう」

 くどいが、夢のことを考えると、必ずしもというわけではないのかもしれないが、あの痛み

が襲ってきそうな気がするのだ。そして、考えないにしても、口にしただけで、痛みがきそう

な、そんな直感的なものを感じていた。

 そんなこともあり、俺は先輩には話さないことにした。さっき倒れて医務室に運ばれたのも、
先輩に夢のことを話そうとしたからだと思うし。

 が、俺は先輩の言うことを聞かないとどういう目に合わされるかを知っているので、

「明日、……明日トラックの中で話しますよ。その時まで楽しみにしていてください」

 後に延ばした。おそらく明日トラックに乗る頃になれば、先輩も忘れていてくれそうな気が

するし、それにたとえ話して痛みが来ないとしても、俺の、つまらないかもしれない夢の話を

期待している先輩には、あまり話したくなかった。

 先輩はちょっとだけ間をおいて、複雑な表情をした。

「あんた、いつも明日明日って逃げてない? なんか話したくない理由でもあんの?」

「まさか。そんなことないですよ。とにかく明日話してあげますから」

「ならいいんだけどね。じゃあ明日、絶対だよ。なんかその夢、そこまで待たせるってことは、
すっごくおもしろそうだから」

「えっ……?」

 余計に胸に期待を膨らませる先輩に、俺は絶句した。

 とにかく、そういったどうでもいいような話をしながら、俺たちは食事を終えた。

 食べ終わっても、先輩はまだ少しだけ食堂に残ると言うので、俺はひとり、食器を調理場に

戻して、男子寮へと戻った。



 俺はベッドの上に横になった。

 就寝する準備はできている。そして、いつも眠る時間を過ぎた。時計は時を刻んでいく。

 それでも何か寝付けない。今日という日を振り返る。

 今でもはっきりと脳裏に焼き付いている、そしてなぜか印象のある『夢』。そしてそのこと

を考えると、痛み出す俺の体。

 俺の眠っている間に、突然死んでしまった村長。

「………」

 俺は何か引っ掛かるものを感じていた。

 夢と痛みが妙に気になる。

 本当に、たかが夢だというのになんで俺はこんなにも思い込んでしまうのか、それでさえ疑

問に思える。

 それらが、俺の時間の規則性をぶち壊すかのように、今日という日に現れた。

 毎日、同じ仕事、同じ空間、同じ行動しかなかった俺に、一日がこんなに長く感じられたの

は、村に来てから初めてのことだ。

「あ~あ」

 大きく伸びをして、厚手の毛布をかけた。

「とにかく考えていたところで何か浮かんでくるわけじゃないよな。明日も頑張るか」

 俺は独白して、部屋の電気を消した。

 俺の毎日は、目標というものがない。が、それでも平凡な生活を送れることに、俺は幸せを

感じている。

 …いつものように、明日も頑張ろう。

 俺にはそれしかない。

 ベッドに入ってから、どのくらいの時間を経て、俺は眠りについたのか。

 当然のことながら、知るよしもない。

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